獅子座。B型。奈良県在住。生まれは四国の愛媛県。
瀬戸内海沿いの海辺の町で生まれ育地ました。なかなかにガラの悪い町で、小学校時代は日々ケンカを繰り返す問題児でした。
でも性格は重度のペシミスト(悲観主義者)
小学4年までは先生・親・親戚から出来損ないの落ちこぼれ扱いでしたが、小学5年頃からなぜか急激に知的進化を果たします。
好物はマクドナルド。異物混入騒ぎで世間がマクド叩き一色だった頃、Twitterで反対意見をぶつけてヘルシー志向の方々を怒らせ炎上させた経験あり。
嫌いな食べ物はキュウリ。キッカケは子供の頃見たホラー映画の金字塔「八つ墓村」。その中のワンシーンで、気持ち悪い双子の婆さんがキュウリの漬物を皿に盛っていたワンシーンがあまりにも薄気味悪く、以来頭から離れずキュウリがなかなかに食えなくなりました。
薄切りであれば、なんとか食べられます。
神童からカースト最下位へ
勉強は比較的出来たほうでした。
小学校5年から県下No.1の塾に通うも、そこそこの頑張りで上位に食い込むことに成功。以来、学校や親戚の間では神童へと格上げされました。
小6になると調子に乗り、東大合格者数毎年30名の実績をもつ県下No.1進学校に中学受験を決意。見事合格をもぎとる。
がしかし、その超進学校で落ちこぼれと化すとは当時は夢にも思いませんでした。原因は、勉強するモチベーションを失ってしまったから。
男子校だったから。
思春期まっただ中を汗臭い男に囲まれるのがたまらなく嫌でした。(僕自身も同じように思われていた可能性あり)。おまけに周囲の連中とは価値観が合わないということにも気づく。
勉強にも一切手を付けなくなり、当然、成績も急降下。神童から一気に「カースト最下位」まですべり堕ちていきます。
親・親戚・先生はおろか周囲の同級生からも蔑まれる毎日が続きました。
最高だった大学時代
しかしながら、高3の頃には意地を見せて国立の2流大学への進学を決めます。
勉強を決意した理由は就職したくなかったからです。推薦は無理でしたので自力でなんとかするしかありませんでした。
大学時代に経験したバイトは20種にも及びます。
出席した合コンは通算で50回は超えるも、できた彼女は1人だけ。
大学時代の思い出は、バイト、合コン、サークル活動、部活、ファイナルファンタジー10。以上。
人生詰みかけた社会人デビュー
就職氷河期なのを尻目に、むしろ就職活動を一切することなく堂々と大学を卒業し見事フリーターデビューを果たす。
四国の田舎町で埋もれるのは嫌だったので、無謀にも徒手空拳のまま東京に渡る。そしてアッサリ住所不定無職と化す。
一時は本気で生活破綻しかけた。このままホームレス直行かと恐れてたその時、幼い頃の家庭教師の兄様に救われます。
兄様の家に住まわせてもらいながら、なんとか生活を立て直すことができました。懸命に働きながら、なんとか生計を持ち直します。
人目を気にしなければ普通に生きられると確認できたのはこの時です。楽ではなかったけど、案外楽しいものでした。
このままテキトーに生きるのもいいのかな?と考えてた矢先、「ワシの一生に一度のお願いだ。頼む!まともに生きてくれ!」と親に泣きつかれました。
あの時のオヤジは、気迫を見る限りでは超本気でした。オヤジの意をくみ、楽しくて仕方なかったフリーター生活にやむなしに幕を降ろす。
その後は、これまでとは真逆の公務員としての人生をリスタートすることになります。
公務員生活
フリーターでは経済的に苦しかったのも事実だ。一応納得した上で26歳から公務員を始めました。一応ここからが僕の社会人スタートになるのだろうか?
社会人スタートできたのはいいが、それまでの刺激的な生活に比べれば公務員としての生活はあまりにも退屈なものでした。
が、下手な会社勤めするよりは安定する方が良いとも思います。
投資への目覚め
退屈しのぎに株式投資やFXを始めました。投資がライフワークになるとは、この時は想像もしていなかった。
当初はチャートの動きを追うだけの短期売買がメインでしたが、損するばかりでどうにも虚しさを感じ、他の様々な取引方法に徐々にのめり込んでいきます。
徹底的にやり込むオタク気質を発揮し、シーゲル書などの投資本などを数十冊読み漁り、株式投資の真髄とは長期保有にあることを突き止め、投資哲学を徐々に固めていく。
簿記の知識なども習得し、決算書の読みかたや各種指標なども分析するなど、ファンダメルタルな分析方法に傾倒していく。
結果、米国株こそがこの資本主義における最強の投資先との確信に至りました。
金融崩壊とも言われたリーマンショックの荒波にも負けず、手持ちの金500万で米国株を買い漁り、3年後には倍に膨らますことに成功。