「エゴを抑える技術」は野心家・成功者・絶望に沈む人、全てに読んでほしい一冊だ

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「謙虚であることを美徳」とする古来からある日本的価値観。この価値観にケチがついたのはここ最近のことでしょうか。

ネット化した現代社会では、人は簡単に個人主義に走ることができます。そして、そのぶん「エゴ」にも簡単に陥りやすくなっている。

 

「エゴ」全開の記事を連発し、多少のバズを起こした身としては、エゴをさらけ出すのが許される今の風潮を心地よく感じているのも否定はできません。

否定はしない一方で、エゴイストの僕はそんな自分のありようにふと疑問を抱くこともあるのです。

 

たとえ一時的に成功したとて、強すぎるエゴはやがては人を呆れさせるのではないか。飽きられるのではないか、と。

はかない成功の裏には必ずや強烈な「エゴ」があるのだとすれば、その「エゴ」こそ抑制すべきものではないのか、と。

 

未だ小さな成功すらも収めていない僕は、幸運にも、この一冊を読むことでその疑念をクリアにすることができました。

 

 

一発屋と成功し続ける者の差とは何か?と問われれば、間違いなく「エゴ」にある。今の僕ならそう答えることができる。

 

うぬぼれるほど危険なものはない

うぬぼれた人はいつも物事や人々を見下している。もちろん、そうやって見下しているかぎり、自分の上にあるものは見えないのだ。

 

C・S・ルイス

 

この本の最大の特徴を挙げるとすれば、うぬぼれや自己陶酔にまみれたエゴイストに警鈴を鳴らす、この一点に尽きるでしょう。

エゴにまみれた時点で人は成長を止めてしまい、成長を止めれば簡単に人は転落する。

成功など一時で消え去る蜃気楼のようなものだ。そう言われる所以も、まさにここにあるのではないでしょうか。

 

この本では、自らのエゴによって人生を食い潰した歴史上の偉人・有名人を例に、謙虚さを忘れエゴに染まることの危険性が、これでもかというくらい述べられています。

 

己のエゴによって無謀なロシア遠征を強行、失敗、それが引き金となり転落と破滅を招いたナポレオン。

ウォーターゲート事件で己の強烈なエゴをさらけ出し醜態を晒したリチャード・ニクソン。

一見、派手な人生を送ったように見えるハワード・ヒューズは、大きな財産と才覚を持ち合わせながらも、エゴがあまりにも強烈すぎたために、最期まで悲惨極まりない人生を余儀なくされた。

 

特にナポレオンに関しては「エゴにまみれ人命を軽視した傲慢な運命論者」という超否定的なスタンスであります。輝かしい面ばかりを取り上げ賛美する池田大作のナポレオン論とは雲泥の差といえるでしょう。

 

神々が滅ぼさんとする人々にまず与えるものは、プライドだ

 

エゴまみれの宗教指導者に叩きつけてやりたい言葉です。

 

エゴはあらゆるものから隔絶させる

エゴというものが 、私たちに実際より優れた人間であると錯覚させる声であるなら 、それは真の成功を阻害するものだと言っていいだろう 。それによって周りの世界とじかに 、誠実に交わることができなくなってしまうからだ。

 

自分が特別な存在だなどと思い込むようになれば、世間の声を聞こうとしなくなります。

他人の意見を聞かなければ当然、フィードバックも得られず、フィードバックがなければ改善することもできません。やがては、改善することにすら関心を失い、自分本位な空想世界に閉じこもることになるのです。

 

世間から剥離した空想など、他者から受け入れられるわけがありません。世間と「隔絶」した者になど、一体誰がついてくるのか。はかない成功の裏側には、往々にしてエゴによる世界からの「隔絶」があるのです。

 

隔絶を遠ざける、つまり、他者からフィードバックを大切にして自分のパフォーマンスをこまめに改善していくには、「エゴ」とは真逆の「謙虚さ」が必要となります。

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「謙虚」な姿勢でいられれば、周囲の声にもきちんと耳を傾けることができる。世間の声に耳をかたむけるならば、適切なフィードバックが得られる。適切なフィードバックを得られれば、自ずとパフォーマンスも向上していく。成功を死守したければ、このサイクルだけは守らなくちゃならない。

 

どうやら、僕は「謙虚さ」という日本的価値観を侮っていたのかもしれない。日本人は謙虚すぎるからバカにされるのだ、謙虚さは人を弱くする、とこれまでずっと考えてきました。

でも、それは間違っていたのかもしれません。

 

「謙虚さ」という姿勢にこそ、本当の強さがあるのだとすれば、「謙虚さ」を美徳とする日本人は本当は強いのかもしれない。

 

「自分は偉大になったと思うようになったら、クリエイティビティは死んだも同然よ」

 

マリーナ・アブラモビッチ

 

 

生きた時間を生きるか、死んだ時間を生きるか?

私たちの人生には二種類の時間がある 。 「死んだ時間 」とは 、受け身でただ待っている消極的な時間であり 、 「生きた時間 」とは 、自ら学び 、行動し 、一秒一秒を使い切っている時間である 。

 

「マルコムX」の精神性を例に、エゴを抑制することが生きた時間を生きることにつながる、ということが述べられています。

 

マルコムXとは、アメリカで黒人差別をなくそうとして公民権活動家です。黒人差別をなくすためには暴力をも厭わない過激な人物で、あまりに行き過ぎたために暗殺されてしまいました。非暴力を前提としていたキング牧師とは真逆のタイプです。

 

マルコムXは若い頃、激しい黒人差別への反発から無頼を貫き犯罪行為に手を染めていました。21歳の頃に捕まり、以来10年間ムショにぶち込まれるハメになるわけです。この長いムショ暮らしがマルコムXの人生を変えました。

 

突如として、マルコムXは刑務所内において猛勉強に励むことになったのです。

ありとあらゆる書物を読み漁り、知識を吸収し続けたマルコムXは、出所する頃には学者顔負けの知識人と化していたそうです。ほとんどの囚人は長い刑期に腐ってしまうところを、腐るどころか生きた時間に変えたのはマルコムXのほかにそうはいないでしょう。

 

10年間もの長い刑期は、マルコムXから覇気を奪うどころか、傑物へと変えてしまったというわけです。まさに「モンテ・クリスト伯」を地でいく人物か。

 

なぜ、ここまで努力することができたのか。

それはマルコムXがエゴを捨て、謙虚に学ぶ姿勢を貫くことができた賜物だと、そう述べられています。

 

人生が有限じゃないということを、僕らはついつい忘れがちになる。多くの人は努力をせず怠惰に過ごし、果てしなく時間を無駄にしようとするが、それは死んだ時間以外の何物でもないでしょう。

 

人生が有限なのであれば、与えられた少しの自由な時間を、自己を磨くことに費やさなければいけません。生きた時間に変えよう。誰しも、たった一度の人生を無駄に浪費したくないはずだから。

 

エゴイストの僕はどうするか?

 

エゴを抑えろというのは、自分を偽れという意味ではないと解釈しています。そんなのはただの偽善だ。

 

これまでどおり辛辣なオピニオンも書くでしょう。僕は自分のオピニオンが間違っているとは思っていない。

 

ただし、それが単なるエゴにならないようには気をつけたい。世間との感覚にギャップがないか?オピニオンに正義はあるのか?この2点においては、自分で自分に目を光らせなければならないと考えています。

 

それが、この本が気づかせてくれたことです。

 

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プロフィール


管理人の伴です。

公務員でありながら公務員をこよなく嫌う社会不適合者。

ワーキングプア脱出のため、アレコレ考え実践しており、守備範囲は主に株式投資はじめお金に関すること。

若干貧しく育ったためか貧困問題にはやたらと敏感。コンプレックスの裏返しか。

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