歴史

「元寇」の真実|源氏とモンゴル軍の知られざる関係

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元の進攻

文永5年(1268年)の暮れ。時の執権「北条時宗」のもとに、対馬・壱岐の守護代よりの急使が駆けつけた。いわゆる「元寇」である。

急使からの息絶え絶えの報告によれば、自分らが飛び出した時点で両地は既に陥落寸前であったらしい。

こうして私が報告している時点では、間違いなく両地は占領済みであろう。現在はモンゴル軍の兵站拠点として機能していると思われると。

 

(ウソだろ、おい…)

 

蒙古に狙われて生きてる奴はいない。後頭部をハンマーで殴られたような感覚が本営を襲う。

唐突すぎる死の宣告は、夢と現を混同させるものである。時宗と取巻きたちは凍りつくばかりで、文字どおり開いた口がふさがらない。中には誤報だと言い張り現実逃避に走る輩もいる。

最も恐れていたことがこうもアッサリ現実のものとなると、リアルをリアルとなかなかに認識できない。現に、ここ鎌倉はこんなにも平穏としているじゃないか。

ヨロめく北条時宗。

とはいえ、むしろこうなるのは、源氏を潰した時からわかっていた。

 

(にしても早すぎる…)

 

奴らの今後の動きとしては、両地を拠点とし、まずは太宰府に着上陸を試みるだろう。おそらくそれは成功する。そこから徹底的なる「掠奪」と「ジェノサイド」が起こるのは、女子供とて想像に難くない。

これは予想ではなく「時間の問題」である。奴らはそういう連中だ。

時宗の誤算は「元」を騎馬民族と侮っていたことにあった。

攻め入るにしても水軍を持たないモンゴル軍が日本海を渡るのは容易ではないと、たかをくくっていた。

あと3〜4年いや少なくとも2年は時間稼ぎはできるとの希望的観測が幕府全体を油断させていた。

報告によれば、半島の腰抜けども、あっさり征圧されたらしいじゃないか。抵抗するどころかむしろ自ら進んで降伏し、あろうことか恭順の意まで示していると聞く。

現に、対馬・壱岐にとどまるモンゴル軍10万は、新羅・高麗水軍により四方を護衛・誘導されていると!

両手で顔を覆いながらノイローゼ一歩手前の時宗とその取巻きたち。彼らのもとに、さらに急使が駆けつけてきた。

対馬の住民は抵抗する者は皆殺された

降伏した者もことごとくが殺されている

生き残った者も、風穴を開けられた両手の甲に鎖を通して数珠つなぎにされ、高麗水軍の船の舷側に張り付けられている始末である

 

話し合いは無駄のようだ

 

4つの種族

源氏と平氏を語るには、まずは差別用語である「四つ」「八つ」を理解せねばなりません。ここをすっ飛ばしては、源氏と平氏はおろか日本史全体を理解することは不可能。

この日本列島には、はるか古代から、多方面から多様な種族が入り込んできました。日本人=単一民族などとは、どこぞの愛国バカが吹き込んだ幻想にすぎない。

「和をもって尊し」というのも全くの幻想で、互いを尊ぶどころか、時代ごとに権勢を得た民族による弱小民族への「差別」が延々と繰り返されてきたという。

まずここを認識しておかなければ、日本の正しい歴史は見えてきません。

差別の歴史
 

そう言っても過言ではないほどに、我が国の歴史は「人の下に人をつくってきた」陰惨極まりないものなのです。

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では、この日本列島に入り込んできた渡来人とは一体何なのか?

あまり細分化するとキリがないので、ざっくり4つに分けて考えていきましょう。

中国大陸系
朝鮮半島系
北方系騎馬民族
南方系海洋民族

平安時代を築いた藤原一族が中国大陸からの渡来人だというのは、以前書いたとおりであります。

「郭務悰」という唐王朝の将軍が「藤原鎌足」と名を変え、日本の原住民を虐殺しながら蝦夷へ追いやった。これが藤原王朝つまり平安時代の始まりです。

酷いのはなにも大陸系渡来人だけではなく、朝鮮半島からの渡来人も残虐行為を積み上げてきました。

有名な「ねぶた祭り」のあの地団駄踏むような動きは、かつて半島系の古来人が日本原住民を生き埋めにし、上から踏み固めたのが起源であります。

要は、我が国における「被差別部落」の礎をつくりあげたのが、中国大陸と朝鮮半島から来た渡来人なのだと。

そんな彼らから、日本原住民とともに長年虐げられてきたのが、北方から渡来してきた騎馬民族の末裔である「四つ」、南方のマレーシアあたりからきた海洋民族の末裔である「八つ」であります。

源氏は「四つ」
平家は「八つ」

源氏が騎馬を得意とし、平家が水軍を得意とするのはそういうわけです。

 

北条政子と源頼朝

大陸系の為政者である藤原一族を追い払ったのが、これまで差別されてきた「平清盛」始めとする「八つ」です。

藤原を叩き潰すに、平家側が大いに利用したのが、同じく差別されてきた「源氏側=四つ」の力。

が、差別された者同士だからといって、別に両者ともに仲が良かったわけではありません。

平家が権力の座に座るのも束の間、有名な一節「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」とあるように、無敵を誇った平家側も源氏側に壇ノ浦で叩き潰されたというのは、皆さんご存知のとおりでしょう。

そうして源氏の天下へと変わっていくわけですが、これが「八つ」の衰亡を意味しているかといえば、実はそうではなく、

今度は「北条氏」という平家側と同じ「八つ」にあたる地方豪族が源氏側にすり寄り始めます。

北条政子が源頼朝の妻となったのは教科書に書かれてるとおりですが、この北条政子が用済みとなった源頼朝を殺害したのは、従来の歴史観では決して語られないことであります。

頼朝殺害の容疑を梶原景季などの有力な重鎮に被せることで、源氏側の権勢を確実に削ぎ始める。

 

「元寇」は蒙古軍による復讐戦争

そうして「四つ」側の源氏は幕府の中枢から追い出され、再び「八つ」側の北条氏が権力を掌握することになりましたが、すんなりとは行かないのが歴史の常です。

北条氏の陰謀に気づいていた源氏は、同じ騎馬民族の宗主国たるモンゴルに助けを求めます。

モンゴル軍といえば当時、フビライ=ハン率いる世界最強の騎馬軍団ですね。

その勢力は極めて巨大で、中国全土はおろか中東から東ヨーロッパまで徹底的に蹂躙し尽くす恐怖の軍団。目をつけられた最後、その都市は死骸の山と化すほどに戦闘力に秀でた死の軍団です。

 

笹りんどう
 

あろうことか源氏はモンゴルの末裔であるのは、モンゴルと源氏の家紋にもしっかりとあらわれている。

源氏の残党から事の顛末を聞いたモンゴル軍は怒り狂い、北条氏への復讐戦争へと舵をとることになるのです。

 

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