ググれカスって‥情報化は人を幸せにしたのか?

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現代は情報が溢れる時代だ。

 

「ググれカス」とは「わからないことがあれば、人に聞く前にGoogleで検索しろ」という意味だ。主に、情報弱者に対して使われることが多い。決して褒め言葉ではない。

 

「人に聞く前にGoogleで検索しろ」

この言葉が端的に示すように、現代ではわからないことがあれば、検索するだけで何がしらの情報を容易に得ることができる。私たちが日常的に想像し得るほぼ全ての問いに対して、ネット上には膨大な量の解答が用意されている。

この凄まじいまでの情報化は、スマホの普及により一気に加速した。スマホは小型のPCであり、ネット環境すらも携帯できるようになったということだ。現代における代表的なイノベーションを一つ挙げるとすれば、このスマホの爆発的普及に並ぶものはないだろう。

このスマホの普及により、私たちとネットの距離はグッと縮まった。そう、24時間いつでもどこでもウェブ上にアクセスできる環境に身を置くことができるようになったのだ。

スマホが人類社会にもたらした影響力は、PCの比ではない。現に、私たちのライフスタイルは、スマホの登場以前と以後でガラリと変わってしまったはずだ。

スマホの登場が皮切りとなり、あらゆるものがネットと融合し始めた。

「IoT(Internet of Things)」という言葉のとおり、スマホに限らず他のモノまでが、どんどんネット世界とつながり始めている。

この潮流は止まらない。むしろ今後はますます加速していくはずだ。

 

過度の情報化社会がもたらしたもの

現代は、まさに情報の大海だ。

私たちは、いつでもどこでも簡単に情報を得ることができる。朝から晩まで大量の情報を浴びて過ごしている。

インプットする情報量だけを見れば、一昔前とは雲泥の差であることは間違いない。

しかし、情報を大量に浴びたからといって、その分賢くなったのかと言われると、実はそうでもない。

人間は、情報量があまりにも多過ぎると、頭の中で処理しきれなくなるのだ。

簡単な疑問であれば、Googleで検索すれば1ページ目に大抵のことは書かれてある。

が、ハッキリとした正解がない複雑な問題に対する答えを探すとなれば、無数の情報を散弾銃のように浴びせられるハメになるだろう。

そして、その無数の情報は玉石混合。どれが玉でどれが石かなんて私たちには判別できない。つまり、どの情報を信じればよいのかわからない。

結果、混乱してしまう。情報が溢れることで逆に正解から遠ざかる。皮肉なもんだ。

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例えば、私の例でいうと、私は、サイト運営や集客方法について調べることが多いんだが、これがまた正解のない厄介な問題なんだ。

あるサイトではこんな方法がいいという。違うサイトではそんな方法では絶対に成功しないという。さらに、その他のサイトでは既存のやり方は全て間違っていて、本当に結果を出したいならばこうすべきだという。

この時点で、一体何をどうすればいいのかサッパリわからない。同じような経験をした方は多いだろう。

 

ある意味、ネットがないほうが幸せだったのかもしれない

大量の情報を浴びると、それに惑わされるため、逆に答えが見つからなくなる。こうした迷いは、時に大きなストレスを抱える原因にもなってしまう。

 

そもそもネットなんてなかった時代。

当時の人々は、現代人に比べれば、かなりシンプルに生きていたはずだ。余分な情報が入ってこないからだ。膨大過ぎる情報は迷いや邪念を生んでしまう。シンプルに生きられるということは、人生に迷いなど生じないのだ。

雑念が入ってこない分、一本芯の通った哲学あるいは信念を持つことも容易だったはずだ。ひょっとすると、無邪気に宗教を信じ、のめり込む人も当時のほうが多かったかもしれない。

 

惑わされることなく、信念に基づきシンプルに生きる。

案外、そういう人生のほうが無邪気に生きることができて幸せなのかもしれない。膨大な情報が入ってくることで、自分とは違う価値観や生き方を目の当たりにすると、どうしてもうらやましくなってしまうものだ。他人をうらやむことで、否が応でも人生の選択にブレが生じてしまう。

他人をうらやみ野望を持つのは自由であり結構なことだ。それが身の丈に合っているなら人生はより良い方向へ向かうだろう。が、身の丈に合っていなければ、理想だけが一人歩きし、やがては人生における重大な選択ミスを招くことになるかもしれない。

別に泣き言言いたいわけではない。大多数の凡人にとっては、過度の情報を浴びる続けることはデメリットである場合が多いのだ。

 

ならば、どうすれば良いか?

 

思い切ってネット環境を遮断するのも良いだろう。余計な邪念が入ってこない分、案外、実りある人生を送ることができるかもしれない。別にネットに一切縁がなくとも生きられるし、そんな仕事だってたくさんある。

しかし、今更ネットを遮断して生きるなどできるわけがない。

これまで通りウェブ上から大量の情報を浴び続けるのであれば、その情報の取捨選択ができるようにならなければならない。これは必須だ。

情報の大海で泳ぎ続け、漂流しないようにするためには、情報強者にならなければならない。情報強者とは、簡単に言えば情報の取捨選択ができる能力をもつ人のことだ。

 

ならば、情報の取捨選択ができるようになるにはどうすれば良いか? より多くの情報と向き合い、情報の良し悪し、ゴミかお宝かの判断する経験を積むしかないだろう。

 

話が振り出しに戻ってしまった。なんか、コロンブスの卵のように煮え切らない結論になってしまったが、ハッキリとした答えを今後も探していきたいと思う。

 

最近思ったことをつらつらと備忘録的に綴ってみました。

 

 

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管理人の伴です。

公務員でありながら公務員をこよなく嫌う社会不適合者。

ワーキングプア脱出のため、アレコレ考え実践しており、守備範囲は主に株式投資はじめお金に関すること。

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