『一生モノの腕時計』というコピーを使ったのは、「時計Begin」という雑誌が最初ではなかったかと記憶しています。
このコピーが出回ったのは2000年代中頃。時計雑誌のみならずファッション誌のあちこちを占めていたように、当時の高級腕時計業界は好景気に湧いていました。
高級時計といえばロレックスとオメガの2つでしかなかった日本社会において、ブライトリング、IWC、パネライといった時計メーカーが一気に知名度を上げ現在の地位を築いたのもこの頃です。
「一生モノ」
大量生産・大量消費が前提の現代社会に対する強烈なアンチ・テーゼであるといえましょう。
このコピーの破壊力は凄まじく、世の男性の物欲を大いに刺激しました。実際に大枚叩いて購入した人はかなり多かったのではないか。
商業的ウケを狙ったフレーズであるとはいえ、全くのデタラメというわけではありません。責任感あるメーカーによって作られた腕時計は、適切なメンテナンスを怠らなければ文字どおり一生使えるのであります。
「メンテナンス体制には責任をもつ。」
「あなたの時計は一生面倒見ます。」
メーカー側はかつてそう豪語しましたが、確かに、そのスタンスは10年以上経った今でも変わっていない。
当時、僕はある高級腕時計を買いました。IWCの『パイロットウォッチ マーク15』
Contents
「マーク15」とスイス時計業界
日本のクォーツ時計がスイスの機械式時計を駆逐した(クォーツショック)のが1967年。
以降、単独では戦えないと悟ったスイスの機械式時計メーカーは、クォーツ時計への対抗策として派閥化を進めます。伝統あるメーカー同士スクラムを組むことで、機械式時計のブランド価値を守り存続をはかろうとしたのです。
そうして、高級腕時計業界は概ね4つの巨大グループに集約されることになります。
1.スウォッチグループ
オメガ、ブレゲ、ブランパン、ハリー・ウィンストン、ハミルトン、グラスヒュッテ・オリジナルetc
2.リシュモングループ
カルティエ、ジャガー・ルクルト、IWC、パネライ、ヴァシュロン、ランゲ&ゾーネetc
3.LVMHグループ
ルイ・ヴィトン、ブルガリ、ウブロ、ゼニス、タグホイヤーetc
4.WPHHプループ
フランクミュラー、ピエール・クンツ、マーティン・ブラウンetc
他にはマニアックどころで「ショパール」などのフルリエグループ、「フィリップ・デュフォー」「F・P・ジュルヌ」などの独立時計師グループがありますが、2017年現在においても上記の派閥は特に変わっていません。
パテックフィリップ、ロレックス、ブライトリング、NOMOSなどの独立系メーカーを除き、僕らが目にする舶来時計メーカーは大抵いずれかの派閥に属しております。
派閥に属することのメリットは、
1.グループ特有の汎用部品の供給が受けられる
2.グループの巨大な販売ネットワークを利用できる
の2つに集約されるでしょう。
デメリットは、時計制作の自由度が制限されることです。
派閥に属するということは、時計をつくるにあたりグループ側からの干渉(口出し)を受けることになります。グループ全体の売上を伸ばしてなんぼの派閥側としては、傘下のメーカーには、自分たちの意向に沿った時計製作を要求するのは至極当然のことでしょう。
IWCがリシュモングループに入ったのが2000年ですが、この『マーク15』がリリースされたのは1998年。
そう、このモデルはIWCがリシュモンに入る前の独立時代につくられたモデルなのであります。


故に、そのデザインにはリシュモン側の影響(余計な口出し)が見られません。つまり、この『マーク15』こそ、IWCの古き良き独自の感性が盛り込まれた最後のモデルということです。
どこがどう優れているのか
本体価格(正規品)・・・・・38万円
IWC製金属プレスレット・・・15万円
計 53万円
この時計を買ったのは20代前半の頃です。時計に50万払うなど年収300万にも満たない当時の僕にとっては手痛い出費でありましたが、以来12年間ほぼ毎日身につけてきて、今思うことは、あの時思い切って買ったのは正解だったなと。
シンプルだが手抜きのないデザインには全く飽きがこず、作り込みがしっかりしているため使用感も申し分ない。
あの時買わなければ、このモデルを新品の正規品で手に入れることはできなかった。
サイズがジャストフィット
マーク15のサイズは直径38mm。
現在の腕時計は大型化が進んでおり40mm超えのものがほとんどですが、一般的な日本人男性の腕には36mm〜38mm径がジャストサイズだと思われます。これ以上は大きすぎるし、これ以下だと物足りない。

質感が素晴らしい
IWCの時計は、どれもこれも時計ケースとブレスレットが素晴らしいのです。特にステンレスの質感の良さには脱帽モノです。

高級をうたう時計メーカーといえどもケースの製造を外注するメーカーは多く、一から自前で製造できる時計メーカー(=マニュファクチュール)は極めて少ない。
自社で製造しようとすれば、大規模な機械設備の導入やその維持管理コスト、専任の技術者を雇うなど莫大な投資が必要となります。大手メーカーや老舗であればそれも可能でしょうが、資本の乏しい中小規模のメーカーにはとても無理なわけで。
そんな中、IWCのケース・ブレスレット類は全て自社一貫の鍛造製法で仕上げられています。マニュファクチュールとまではいかなくとも、「可能な限りはあえて自前で作ろう」というその姿勢からは、時計メーカーとしての矜持が垣間見えます。
腕への収まりがいい
勘違いしてほしくないのが、値段の高い時計が良い時計であるとは限らないということです。本当に良い時計とは、使用感に優れた時計なのであります。
「マーク15は良い時計である」と僕が断言するのは、腕への収まりが実に良いからです。収まりの悪い時計は腕の回りをくるくる回るものですが、マーク15は腕上での安定度は高く、ストレスなく装着することができます。
収まりがいい理由はラグの形状にあります。ラグとは時計本体とベルト部分。

ラグが大きく下方向に曲げられているのがおわかりいただけるでしょう。こうした気配りがあるからこそ、腕上で暴れず安定するのです。
このマーク15に限らず、IWCの時計は全てラグが下方に曲げられております。
何よりもデザインが秀逸
デザインに関しては文句のつけようがありません。
僕自身、このデザインのパーフェクトさに惚れ込んだがゆえに、53万も払ったのです。

デザイナーではない僕には、このデザインのどこがどう良いのか論理立てて説明することはできない。
でも、この写真を見ていただければ、「良さ」がなんとなく伝わるのではないでしょうか。
シンプルでありながらも精悍。無骨なだけではなく愛嬌さも醸し出すこの文字盤。これまで多くの時計を見てきましたが、ある種感動とも言えるこういった感覚を覚えたのはマーク15以外にありません。
今のIWCは?
残念ながら、今のIWCの腕時計には、このマーク15を超える傑作はないと思われます。
確かに、ポルトギーゼなど一部の時計には見るべきものもあるでしょう。でも、それ以外のモデルはどこか散らかったデザインばかりだ。
なぜ、傑作が出なくなったのか?
昔のIWC時計は心に刺さるものが多いのです。例えば、このモデルとか。
1998年製造のポルトギーゼ。まるでそう、人を惹きつける麻薬のようなデザインです。一度見れば頭から離れない。
かつてのIWCは、こういった傑作ともいえるモデルを多数世に送り出していたのです。
デザインがパッとしなくなったのは、リシュモン傘下に入ってからでしょうか。
スイス時計業界の派閥化は時計メーカーを守ると同時に、拝金主義をも生み出しました。グループ側の拝金主義は傘下の各メーカーの時計製作の自由を奪ってしまったのです。
グループ側によるメーカーへの制限はデザイン面において特に顕著で、従来の「独創的なデザイン」を認めなくなりました。認めるのは、大衆迎合的な『売れる』デザインのみ。
結果、僕の好きなマークシリーズもこんなふうに変貌していきました。

この「マーク18」はそこそこ売れたそうですが、これぞ売れるモノが良いモノだとは限らない好例といえるでしょう。
悲しいことに、見る目のあるユーザーにとっての良いモデルが商業的に良いモノとは限らないのであります。いくらこだわりのある良いものを作ったところで、それが一部のマニアにしか受けないのであれば、ビジネスとしては成り立たないないのです。
世間から良いモノと認知されるには、たとえチープであったとしても大衆迎合的な要素がどうしても必要となる。だって、消費者のほとんどはモノを見る目なんてないのだから。
まとめ
しかしながらIWCの1ユーザーでありファンとしては、それではあまりに寂しいわけで。
現在のIWC時計には改善の余地はたくさんあるでしょう。
ただし希望はある。IWCはこまめに改良を重ねるメーカーなので、時計ファンの要望にいずれは気づいてくれるはずです。再び傑作も出てくることでしょう。
でもまぁ、僕はこのマーク15という傑作を既に持ってる。そして『自社製品の永久メンテナンス』この約束を守る限り、文句言うつもりはありません。