ブラック企業問題についてはもはや散々語り尽くされており、今さら僕なんかが語るまでもないだろ。と思っていました。
最近ワケあって「社会のブラック化」について調べてまして、いろんなコラムを読んでて気づいたんですが、ほとんどの記事が表面的な話だけで終わってしまってるんですよね。
「旧態然とした企業の体質に原因が…」とか「コンプライアンスをもっと整備して労働環境を…」とか、酷いものだと転職アフィリ狙いの内容とかそんなのばかり。
「なぜ日本社会はブラック化するのか?」という、そもそも論に言及したコラムは見当たらなかった。
・過剰なおもてなし精神
・サービスの過当競争
日本社会がブラック化する原因はこの2点に集約されていると、僕は考える。というわけで今回は「社会のブラック化」について、僕の私見から深掘りしてみたいと思います。
その前に、
お願いですから貧乏人は『卵を一つのカゴに盛って』くださいを再投稿した際には、ありがたいことに、多くのクソコメントをいただきました。
不愉快にさせてしまったのは遺憾ですが、一つ言わせていただくとすれば、
オレたちには「言論の自由」という崇高な権利が保証されている。そうだろ?
Contents
「おもてなし」という過剰サービスが社会をブラック化させる
製造業のシェアが新興国に奪われて以降、日本人は「ものづくり」をあきらめ「サービス」で食っていくことを選択しました。
現に5〜10年ほど前まではマスゴミや自称有識者たちがこぞって、
「ものづくりから脱却せよ。」
「サービス業にシフトチェンジしろ。」
「他の先進国はとっくにそうしてる。見習え。」
などと盛大にあおってましたね。
そのせいもあってか、以降「製造業」のシェアは減り続け、かわりに「サービス業」が就労者数・GDPのシェアの大部分を占めることになりました。おかげさまで現在では、いたるところで「サービスの過当競争」が頻発しているという有様です。
それで社会は良くなったか?
むしろ「悪化した」のではないでしょうか。良くなるどころか僕らの所得は減る一方です。
なぜ、うまくいかなかったのか?
そもそも、サービスをいくら強化したところで内需=国内の消費総量は変わらないからです。
狭い地域内でコンビニや飲食店が乱立するのをよく見かけるけど、店舗が増えたからって僕らの食う量は変わらないんですよ。
ファミマから50m先にセブンができたとしても、それでパンや弁当を余分に買うか?って、絶対買わないじゃないですか。経営者であっても、ここがわかってない人って案外多い。
結果、「過当競争」という名の客の奪い合いが起きるのです。そして限られたシェアを奪おうと各社は他店との差別化をはかろうとする。つまり、更なるサービスで上塗りするわけです。
当然ながら、そのぶん経営者や従業員には更なる負担がのしかかる。
24時間営業は今や当たり前となっていますが、これなど「過剰サービス」が招いた成れの果ての姿です。確かに、消費者側である僕らにとっては便利ですよ?何時だろうが好きな時にモノ買えるんだから。でもね、
消費量はかわらない。
営業時間を伸ばしたからといって売上あがるのか?といえば、そんなことはなく単に時間あたりの売上が減るだけなのです。つまりは、経営者や従業員からすれば所得は増えずに労働時間だけが増えるわけです。これでは、たまったものではない。
過剰なサービスは労働時間を無駄に伸ばすだけなんですよ。生産性なんてむしろ薄まってますからね。
結果、誰も幸せにならない。
消費者は幸せだって??いや、夜中にメシ食えるのがそんなに幸せなのか?心配しなくても、夜中にコンビニや牛丼屋行けなくて死ぬ奴はいない。
これはべつにコンビニや飲食業に限ったハナシではなくて、今の日本社会はあらゆる分野でこういった消耗戦が繰り広げられているのです。
ブラック企業のほとんどが「サービス業」であるように、過度な「サービス競争」こそが日本人の労働時間を上げ、所得を下げ、幸福度を下げているのです。
あのとき、「ものづくり」から「サービス」へシフト変換したのは正しかったのでしょうか?この現状をみる限りでは、間違いであったとしか思えない。
「モノづくり」しか取り柄のない民族が製造をやめてどうする
日本人が「ものづくり」をやめたのは、致命的なミスであると僕は思います。
「ものづくり」こそ、日本人が世界に誇れるたった一つの取り柄なのです。持ち前の勤勉さが有利に働くのは「ものづくり」をおいてほかにはありません。
高級機械式腕時計・グランドセイコー。


・ケースの研磨技術
・縁のエッジの立て具合
・文字盤の色彩加工と針の形状
・なにより中の機械の精度
どれをとっても非常に高いクオリティをもつ素晴らしい腕時計です。
驚くべきことに、製造過程は自社一貫生産。アウトソーシングが当たり前の時計業界において、一から全てを作れるのはグランドセイコーをおいてほかにはありません。高級腕時計の本場・スイスでさえも、グランドセイコーほどの技術のある時計メーカーは数えるほどしかないという。
日本の「ものづくり」は間違いなく世界一であると僕は思っています。世界広しといえど、日本製品ほど緻密で丁寧に作り込まれた製品はありません。外国人には決してマネできない。
あの時、「ものづくり」を諦めるべきではなかったんですよ。稼げないからといって安易に「サービス業」に逃げるべきではなかった。価格競争面で他国に勝てないのはわかる。経営的に「ものづくり」が辛くなったのもわかる。
でもだからといって、自分たちに与えられた唯一の取り柄を捨てたり他国に売り渡したりするのが正解だったのか。逃げるのではなく、まずはどうやれば売れるのかを模索すべきではなかったのでしょうか。
モノが売れないのはマーケティングが下手くそだから
そもそも「サービス業」って、付加価値を生みにくいんですよね。
特に「受けたサービスに対価を払う」という概念が乏しい日本では、いくらサービスを充実させたところで当たり前としか思われないのです。すぐに他社からもマネされ、結局は価格競争に陥ってしまうという。これでは到底、付加価値など生み出せない。
でも「ものづくり」は違います。品質の高さと信頼性をクールなイメージ戦略でアピールできれば、ブランド力を育てることができるのです。ブランド力がつけば他者との差別化がはかられ、不毛な価格競争になど巻き込まれずにすむ。
ドイツ製品が売れるのはブランド力があるからです。僕ら日本人でもドイツ製って聞くと、なんか品質良さそうに思えるじゃないですか。製品スペックを良く見比べると明らかに日本製のほうが勝ってる場合も多い。にもかかわらずドイツ製は売れて、日本製はあまり売れない。
この差は何なのか?
マーケティングです。先進国であるドイツが輸出大国であり続けられるのは、ユーロ安の恩恵ではありません。マーケティングが成功してるからです。デザイン面の差もあるでしょう。ドイツ製品はスタイリッシュで、日本製品はなんかダサい。まぁそれとてマーケティングの一部だと考えれば、とにかくドイツはマーケティングが上手いのです。
日本人は致命的にマーケティングが下手くそです。「謙虚さ」があだになっているのか、世界一を取れる技術力を持ちながらも、それをブランドまで昇華させることができない。ブランドを育てられないから、当然、お金を稼げない。
だからといって、製造だけが唯一の取り柄である国が「ものづくり」から逃げてもいいのか?
いいわけがありません。
安易にサービス業なんかに逃げるのではなく、どうやれば自分たちのモノが売れるかをもっと模索するべきではないでしょうか。
結局国民の幸福度を上げるには、いかに効率よく稼ぐかしかないのです。これ以上サービスを真剣にやったところで、ブラック企業が増えるだけですよ。
だったら原点にかえって、自分たちの特技は何なのかを今一度考えるべきでしょう。