「現代は高ストレス社会である」とはよくいわれるセリフだが、日本社会の醸し出すストレス負荷は特に異常だ。
不名誉にも、『KAROSHI』という言葉が世界共通語となってしまったように、日本人労働者の抱えるストレスは死を招くほどに高い。
もう一度はっきり言おう。
日本社会は異常だ。
社会がブラックなだけならまだしも、おまけにミサイルの脅威にまで晒されているという如何ともしがたい今のクソ状況。
日本から去るのがベストなんでしょうね。
だが、それは庶民レベルの僕らにはなかなかにハードルが高く、嫌でもこのクソ国家にしがみつかざるを得ないのが、これまたクソな現実だ。
イソップ物語に「蟻とキリギリス」の話があるが、あれは嘘っぱちもいいとこだ。最終的に飢えるのは蟻側=僕ら労働者側ではないか。
と、いくらぼやいたところで今の状況が消えるわけでもなく、僕らにできるのは、せいぜい今のこのストレスを上手くかわすことだけ。
もし(気力で乗り切る)や(時間が解決する)などと考えているのであれば、それはストレスというものをあまりに軽く考えすぎだ。
高ストレス状態というのは、プレート境界に溜まるエネルギーのようなもので、耐え続けた期間が長いほどに、臨界点を超えた時に解き放たれるダメージはデカくなる。
メンタルヘルスを甘くみてはいけない。
ストレスが一旦堰を切れば、地震でビルが倒壊するがごとく、心も無残に倒壊していく。心が壊れれば、同時に「能力」も壊れる。
「能力」を失うということは、この資本主義社会においては、「経済力=サバイバル能力」を失うことを意味する。誰も助けてくれない。
ストレスというのは、気づいた段階で早いうちに解消しなくてはならないのである。
高ストレス状態とはどんな状態か
少し、僕の話をしよう。
僕は10年以上にもわたりブラック組織に勤めている。
仕事内容は予算の受取と執行、およびその全てを厳密に管理するというものだ。
扱う科目は30種にもおよび、それら全てにおいて寸分の狂いも許されない。「寸分の狂いも許されない」とはどういうことかというと、「小数点第2位レベルで、ミスが絶対に許されない」ということである。
その計算内容も無駄に複雑極まりない。
こうした緻密なコントロールが要求される仕事はシステム化されているのが普通だが、残念ながら僕の職場はアナログ極まりなく、ほぼ手動で管理しなきゃならん始末である。
どっからどう考えても、ミスが起こらないほうがおかしい状況だ。が、ミスを起こすと性格の悪い上司からハンパなくドヤしあげられる。
改めて考えてみると、まったくクレイジー極まりない仕事だ。その難易度は、ヘタな銀行員では務まらないほどのものだと個人的には思っている。
ミスの全ての責任を負うのは『実質上』僕だ。名目上の責任者はいるにはいるが、ミスが起こった際には、彼らは僕をディスって終わり。気楽なもんだ。
が、現場を仕切る立場の僕はそうはいかず、もし問題が起これば、たとえ徹夜になろうが期限までに解決(=銭単位で帳尻を合わせる)しなきゃならない。
そこに一切の「融通」はない。
注ぐ神経は文字どおり「擦り減る」レベルだ。
まぁ慣れもあるので、こんなブラックな仕事でも、これまでであれば特になんてことはなかった。むしろ「僕だからこそ出来る」という自負なんかもあり、少しばかり「誇り」なんてものも抱く時期もあったくらいだ。
でも今は違う。
実は先日、僕は「退職願い」を出したんだ。
世の中で必要とされるスキルが一切身につかない、しんどいだけの今のこのブラック労働にほとほと愛想が尽きてしまった。
情熱も何もかもが消え失せ、時間の無駄としか感じられない。今去らねば、このままズルズルいってしまう。
だから、思い切って去ることを決意した。
決意したまではいいのだが、そうすんなりいくほど現実は甘くない。
チームの要たる僕が簡単に退職できるわけがなく、案の定、組織側は渋っている。僕のハナシに取り合おうともしてくれない。
日頃のブラック業務に合わせて、退職に向けて組織側との交渉の必要が出てきた。
去る決意を固めたのであれば、部下への引き継ぎも進めていかなければならない。
僕が去った後もチームをソフトランディングさせるには、部下たちを僕の水準にまで引き上げる必要がある(でなければ、今度は彼らが地獄をみることになる)。新たな仕事が増えてきた。
そして自分自身の「転職活動」。
毎日の業務だけでも結構キツいのに、それに合わせて他のことも同時に行わなければならない状況だ。
想像以上に苦しい。
勤務時間もハネ上がっている。自分の時間は以前よりも激減した。
趣味である読書もできない。投資を考えるゆとりもない。こうしてブログを更新する気力も、今ではかろうじて保っている始末だ。
余裕がない。
僕のストレス度は、かつてないほどにハネ上がっている。
高ストレス状態でやってはいけないこと
心が悲鳴をあげているのがわかる。まるでミルコのローキックをひたすら食らってるような感じで、へし折れるのは時間の問題だ。
このままじゃマズい。
そう気づいた僕は、このストレスをなんとか消さねばと躍起になった。
やりたいことがやれない今のクソ現状がストレスの原因だと僕は考えた。
そこで、残された時間をすべて、現状おざなりになっていることにより一層注力する。
・転職活動
・読書=インプット
・文章を書く=アウトプット
この3つこそが、これまで僕の荒んだ精神の安定を担ってきたのであれば、これまで以上にこれらにのめり込めば、ストレスは氷解し心身のバランスも取れるだろう。
(やらねば)で乗り越えている普段の重労働に加え、残ったわずかな時間までも(やらねば)という気持ちで消費した。いわゆる『バーサクモード』というやつだ。気合いだけで全てを乗り越えようと、僕は躍起になっていく。
しかし残念ながら、これが上手くいくほど僕のキャパは大きくなかった。
いかに好きなことであれ、一旦義務化されれば、それは負担以外の何物でもなくなるのである。
これがとんでもない逆効果をもたらした。
まず睡眠時間が大幅に削られることになった。頭は常に重たい。
そして文字が書けなくなった。デスクトップ画面には、完成とは程遠いクソなメモ書きで埋め尽くされている。
さらに文字がなかなか読めなくなった。知識が頭に入ってこない。以前よりも効率が落ちているのは明白だ。
それらがまた、僕にとっての新たなプレッシャーとなった。
家族関係もギクシャクし始めている。当たり前だ。旦那の余裕のない姿を見て不愉快にならない妻がどこにいる。父親の不景気なツラをみて喜ぶ保育園児がどこにいる。
そうしたストレスを吐き出すように、僕のツイート内容も僕自身が意識しないうちに徐々に荒れていく。
Twitterではもともとネガティブ発言しかしなかったのだが、最近のツイート内容をみるとより一層荒廃している。
※あまりにひどいのは削除済
そうしたツイートを繰り返せば、フォロワーが減るのは当たり前のことだ。
それがまた自己嫌悪という名のストレスとして、ブーメランのように僕自身に返ってくる。
ストレスを解消するには日頃と真逆のことをやる
「ストレス」という名の海水面が「心」の堤防を越えようとしていた。
冷静さが売りの僕が、とうとう仕事でもイラつきを隠せなくなっている。
そうなってやっと気づいた。頭脳がとんでもなく疲弊していることに。
この頭の疲れを取り除かない限り、今のこのゲージフルのストレスは決して減らないだろう。間違いなく、近いうちに心の堤防が決壊する。
かなりまずい状況だ。
今までと同じことをするのはむしろ水かさを増す行為にすぎない。
精神をリカバリーするには、ここらでベクトルの向きを180度変える「処置」が必要だと考えた。
上司に2日間の休暇を申請した。
2日の休みは仕事的には大ダメージだが、そんなことを言ってる場合じゃない。
ストレス要因は減らせないにしても、この2日をフルに有効活用して、せめて決壊間際の堤防だけは修復したい。なりふり構ってはいられない。今ここをケチれば、被害はより甚大なものとなるだろう。
問題はこの2日をどう使うかだが、その答えはもうわかっていた。
休みだからといって、「できなかったこと」をやろうとしては元の木阿弥だ。「やらねばならない」に追われたこのストレスまみれの精神をリカバリーするには、「何もしない」が正解だ。
頭脳が疲れているのであれば、徹底的に頭脳を使うことなく過ごすこと。これが、今の僕にとっての何よりの正解だったのだ。
とにかく寝る
睡眠時間が減ればストレスが増えるのはもはや心理学的にも立証済みである。
まずは、激減している睡眠時間を補わなければならない。そして何より必要なのが「一人になれる時間」だ。家族は大切だが、今の状態じゃあ負担にしかならない。
とりあえず家族は実家に帰すことにした。キチンと話せば了承してくれた。
僕の普段の睡眠時間は約4時間。休日で7時間だが、この2日は約13時間も寝た。泥のように眠った。
SNSを遮断する
SNSは今ではなくてはならないシステムだ。他人の目を気にせず言いたい放題言えるのは実に素晴らしい。
見ず知らずの他人と繋がりをもてるのは面白いことだが、必要以上に繋がるのは考えものだ。逆にストレス過多を招くことになる。
ましてや、そもそもがストレス過多の状態では、過剰な「人とのつながり」はより一層精神を荒廃させていく。
特にTwitterは危険だ。
Twitterは今やかなりアナーキーな地帯と化しており、油断してるとクソリプ飛んできて僕の心をかき乱す。
しかも僕の場合、ストレス量に応じて僕自身のツイート内容も荒んでいく。人を不愉快にさせるエアリプ飛ばすくらいなら、いっそのこと閉じたほうがマシである。必要な返信以外は全て見ないことにした。
いやそもそも、ストレス・ゲージが満タンの時はスマホ自体から少し距離をおくほうが賢明かもしれない。
映画を見まくる
頭を使わずにすむにはテレビが一番だ。精神安定という意味ではテレビにも存在価値があるということがよくわかった。
とはいえ低俗なテレビ番組を見ても仕方がないし全然面白くないので、映画を見ることにした。
コンテンツは以下の7つ。
・ファイト・クラブ
・クローバーフィールド
・10クローバーフィールド・レーン
・クローバーフィールド・パラドックス
・イングロリアス・バスターズ
・イップ・マン(序章)
・ターミナル
昔見たものから最近の有名どころまでを貪るように見まくった。
映画はいい。非現実的なものはリアルを忘れさせてくれる。何より、画面を通して一方的に情報が与えられるだけなので、考えずにすむ。
映画をストレス解消に使うなら、選ぶ際に気をつけるべき点が1つある。
自分のメンタルに合わせたコンテンツを見ることだ。
基本ネガティブ思考で常に斜に構えているの僕が、ラブ・ストーリーやヒューマンドラマを見たところで一体何になるのか。何の心の癒しにもならない。
であれば、最初に見るのはグロ系の映画を見るべきだ。堕ちた時は堕ちたコンテンツをみなければ精神の回復ははかれない。感動するのはストレスが氷解した後で十分だ。
コンテンツ
「ファイトクラブ」はブラッド・ピットとエドワード・ノートンが共演した古い映画だが、僕の記憶の中にもこびりついてるほどにとんでもない作品だ。
しかし残念ながら、この「ファイトクラブ」はどの動画サービスにもなかった。ゲオにいくのもクソ面倒なので、dTVで300円でレンタルした。
「クローバーフィールド」シリーズは最高だった。これほど面白い作品を見たのは、あの「パージ」シリーズ以来だろうか。
1作目の「クローバーフィールド」は得体の知れない巨大生物がニューヨークを荒しまわるというストーリー設定で、主人公の友人が次々と命を落としていく様は見ものだ。
2作目の「10クローバーフィールド・レーン」は太ったサイコ親父と得体の知れない地球外生命体から全力で逃げるというストーリー展開。
はっきり言おう。2作目は特にヤバい。
3作目の「クローバーフィールド・パラドックス」は宇宙ステーションにおける戦いだ。
1作目と3作目はNetflixの独占配信だが、2作目の「10クローバーフィールド・レーン」はアマゾンプライム会員なら普通に見られる。
「イップ・マン(序章)」はカンフー映画だ。主人公は文字どおりイップ・マンで彼は実在の人物であり、あのブルース・リーの師匠でもある凄腕のカンフーマスターだ。
イップ・マンの時代は日中戦争当時で、総司令官であり凄腕の空手家でもある「三浦閣下(池内博之)」に抗う様は、どのカンフー映画よりも迫力満点である。
中国から見た日本人像というのも知ることができる、最高の中国映画だ。
これもまたアマゾンプライムビデオで普通に見られるので、興味ある方は見てほしい。時間の無駄には絶対ならないはずだ。
まとめ
というように、この2日間は全力で頭を休めている。心は少しずつ穏やかさを取り戻してきたようだ。
ストレスを解消するには、日頃と真逆のことに取り組むべきだということを、改めて再確認できた次第だ。