
今回は、前回のテーマ「ブログを書く意義」についての余談となります。
サイト運営を始めて以来、気づいたと言うより、思い知ったことがもう一つあるんだ。
それは、時間に対する価値観。
『時は金なり』ってことだ。
いきなり「時間の価値」なんて言われても、一般的な勤め人からすれば、抽象的過ぎていまいちピンとこないかもしれない。
結構ディープな話題なんで説明も難しい。
わかりづらいかもしれないが、まぁ聞いてくれ。
ほとんどの人は、朝起きて出勤して仕事が終われば帰る。帰ったらメシ食うか風呂に入ってあとは寝るだけ。
毎日がこの繰り返しであり、時間の使い方なんて大体決まりきったものだ。だから、時間は意識してもその価値まで意識することはないだろう。
でも、少し考えてみてほしいんだ。
こんな風に、平凡で単調な時間を繰り返すことが、本当に良い時間の使い方なのか、ってことを。
出勤⇨仕事⇨帰宅⇨休むって時間の使い方は、一見、無難で安全に思えるだろう。
でもそれは、時間を組織や雇い主にコントロールされてるってことでもあるんだ。
無難や安全と引き換えに、ね。
それに、自分に対して諦めも入ってないか?
己のコントロールを他者に委ねるってことは、時間の使い方を他者に委ねるのと同じことなんだ。
極端な言い方をすれば、勤め人は給料をもらうために、自分の時間を組織や雇い主に差し出してコントロールさせてる、とも言えよう。
気をつけなければならない。
こういう生き方は、時間に対する感覚を鈍らせてしまう。
労働という形で時間を差し出して、そのかわりに報酬を得るってことは、時間ってものは売りさばいてナンボの商品。
こんな感覚になってやしないだろうか?
本当に気を付けなければならない。
こんな感覚が身についてしまうと、時間を消耗品くらいにしか思わなくなってしまうんだ。
周りを見渡せば、そんな人ばっかりだろう?
時間に対する感覚が薄れていくと、せっかくの自由な時間まで無駄に消費し始めるんだ。
嫌々やらされてた労働から解放された反動からか、ダラダラと空虚な時間を過ごそうとする。
ボケーとテレビ見たりスマホでゲームしたり、などなど、とりあえず無意味に過ごそうとする。
すごくもったいないと思わないだろうか?
どんな時間であれ、限りある人生の中の限りある時間だ。
それを早く過ぎ去って欲しいと願う。仕事から早く解放されたいがためだけに。
しかも、やっと手に入れた自由な時間までも無駄に消費する。
過ぎ去った時間は、
二度と戻ってはこないんダゼ?
なぜ、今更こんなことを言うかって?
私自身が今、時間の大切さを骨身にしみて感じているからだ。ハッキリ言って、とても24時間じゃ足らない。
毎日、仕事のほかにもサイト運営という日課が加わると、時間の貴重さを嫌でも思い知らされる。
サイト運営をするとなれば、1日の中である程度まとまった時間を確保しなければならない。
まとまった時間を確保するには、時間の使い方を根本的に見直さなければならない。
過去の社畜生活のような時間の使い方では、とてもじゃないが、まとまった時間なんて作れないんだ。
なんとか工夫しなければならない。
どうするか?
仕事の時間を削るわけにはいかない。削りたいのは山々だが、雇われの身である以上自分に決定権はない。できることは、可能な限り早く終わらせることだけ。
ならば、仕事以外の時間に活路を見出すしかない。
間違ってもテレビやゲームなどに時間を割く余裕はないんだ。
そんな生活を始めて半年近く経つけど、
おかげさまで、今じゃ時間の使い方はかなり筋肉質になっていると思う。
えらくしんどい生き方のように思えるかもしれないが、ダラダラ無駄に過ごして気がつけばジイさん、なんて生き方よりはよほどマシだと思っている。
時間をゆるゆるに消費してる人達と、筋肉質に消費してる私。
今この瞬間を見れば、ゆるゆるなほうが幸せに見えるかもしれないけど、1年・2年と時間が経てばどうだろうか?
絶えず進化を続ける私と、何も成長しない人達とでは、如何ともしがたい膨大な差となっているとは思わないか?
膨大な差とは何の差か?
もちろん、人生の価値における差だ。
時間が出来たらやろうとか、いつかやろうとか、そんなスタンスでは未来永劫変わらないままだ。
それこそ、気づけばジイさんだぜ?
人生は短い。
限られた時間の中で自己実現を果たそうと思えば、ダラダラ過ごす余裕なんてあまり残されていないのかもしれない。