(一生涯で、人は何度「どん底」を味わうんだろう?)
などと、ふと考える時がある。
こんな世の中だ。
思いもよらぬ事態に見舞われ、「もはや打つ手なし」な状況にある人も多いのではないだろうか。
たとえば突然のリストラ勧告。
次の職も決まらないとなれば、それはまさに「どん底」の渦中だろう。
子供はまだ小さい。これから食べ盛りだが、食費はどうする?
進学させたいが、学費を払う当てがない。
嫁の稼ぎは当てにできない。
2ヶ月乗り越えられる貯蓄もない。
日に日に減っていく生活資金…
住宅ローンはどうする?払っていけるか?
近い将来、家を手放さなきゃならないのか?
そもそも、明日から家族をどう養えばいい?
衣食住が脅かされる状況は、かなりきつい。
その壮絶な苦は経験した人でなければわからない。
苦を耐え抜けば精神が成長するが、耐えられなければ、心に致命傷を負う。
他人事だと感じる人は多いだろうが、こうした状況は否が応でも、今後多くの日本人を襲っていく。
「働き方改革」で能力を伸ばせない環境下に甘んじていると、何もできないオッサンになる。
経営が傾けば、その手のオッサンは真っ先に放り出される。
壮絶極まりないサバイバルの始まりだ。
例えるなら、飼育小屋から出たことのないウサギが、未開のジャングルに放り出されるようなものだ。
人生のレールからのドロップアウトだ。
在職中は鼻で笑ってきた名刺や役職が、どれほど価値のあるものだったかがよくわかる。とことん思い知る。
失ったものの巨大さに唖然とする。少なくとも半年間は打ちのめされる。
ここまで堕ちて初めて、
神はおらん
ということを悟るんである。
とはいえ、起こったことはどうしようもない。
時間は戻せるか?戻せるわけがない。
じゃあどうする?
という話になる。
今回は、「どん底」の状態では何をすればいいかについて述べていきたい。
どん底よりも厄介なのは「絶望」
「どん底」と「絶望」は隣り合わせで、大概はセットになってやってくる。
「神は乗り越えられない試練を与えない」とはよくいったもので、必死でもがけば「どん底」でも何とかなるものだ。
何とかならなくても、何とかなりそうな蜘蛛の糸くらいは見えてくる。
「どん底」より厄介なのが「絶望」だ。「絶望」はひたすら目の前を曇らせるてくる。
絶望した時の心境は一言、
この世の地獄
冥界の番人アヌビスもどん引きするほど、「絶望」した時の地獄感は壮絶だ。既にへし折れた精神が、さらに細切れにされる。
考えても仕方ないことだと、いくら言い聞かせても、不安と焦燥感をどうしても拭えない。心はズタズタだ。
感受性の強いタイプ、頭の回る陰キャラタイプは要注意だ。
感受性が強いと必要以上に考え込み、自分で自分を追い詰めてしまう。
ネガティブ思考で頭の回る人間はもっと大変だ。
来るかどうかもわからない最悪の未来を、わざわざ論理だてて筋道を立てて考えるからだ。希望もクソも感じられなくなる。
「絶望」には2種類ある
「状況への絶望」と「自分への絶望」だ。
「状況への絶望」とは文字どおり、今自分が置かれた環境に対する絶望。
「自分への絶望」とは自分の無価値さ・無能さ・伸びしろの無さに対する絶望。
どちらか一方ならマシだ。
絶望的な状況にあっても、自分自身に希望がもてれば、抜け出す道はいくらでもある。
自分に絶望したとしても、生活が成り立つ環境であれば、そのまま惰性で生きることができる。
まずいのは、2つの絶望に同時に襲われた時だ。
(絶望的でどうしようもない状況から「抜け出す力」がない)と腹の底から悟ってしまった時、人は自殺する。
えらく物騒なことを述べているが、ここに辿りついたあなたは多分大丈夫だ。
いずれ何とかなる。
…
不安と動悸で寝付けない午前2時。
布団の中でスマホを握り、Googleの検索窓に「どん底」「絶望」などと入力して、この記事に辿り着いたということは、「何とか今の状況を打開したい」と考えているからだろう。
「何とかできる」と心のどこかで信じているからだ。
2つの絶望に片足を突っ込んでしまった場合の対処法
とはいえ衣食住が脅かされ、何をしても上手くいかない状況では、精神的にはかなりきつい。
何とかギリギリ生きてるだけで、ダメさと無力感に打ちのめされている人は多い。
誰も助けてくれない
ということは、最初に言っておきたい。
どん底で絶望した時は、とにかくヒマな時間を作らないことだ。絶望に苛まれるのは、時間があるからだ。とりあえず何かする。
自分より酷い状況の人をみつけて、自分を慰めるのも別にいいけど、そんな事をしても口座残高は増えない。
収入面で不安があるのなら、収入に繋がる何かをやってみる。
仕事が決まらないのなら、朝から晩まで仕事を探して応募する。
アルバイトの掛け持ちでもいい。
せどり始めてもいいし、ネットビジネスやってもいい。
本を読むのもいいかもしれない。
とにかく、仕事や稼ぎにつながる事を何でもいいからやってみる。
ヒマは危険だ。ヒマはセルフイメージをどんどん下げる。びっくりするほど下がる。
セルフイメージが下がると、良からぬ事ばかりが頭をよぎる。
どうせ「どん底」なら、やりたい事をやってみればいい。
「どん底」はある意味チャンスだ。
バカにされようが、恥をかこうが、見苦しかろうが腹が立とうが、そんなのは別にどうでもいい。
自分がやりたい事・出来る事を見つけて、それをがむしゃらにやることだ。
行動に移せないのは、プライドが邪魔しているからだ。
プライドがある時点で「絶望」なんてしていない。むしろ、妙なプライドが邪魔して必死になれない自分に絶望した方がいい。
僕自身、年に2回くらいは「どん底」に落ちることがある。自分に対しても、何度も何度も絶望してきた。
ひどい時は何日も塞ぎ込むこともあるけど、そんな時でも「打つ手はないか」と常に探している。
見つければ、次の日には始めている。
どん底雨や絶望は乗り越えるのではなく慣れるもの
と、そう思って僕は生きている。
この2年間で、数えきれないほど絶望感を味わった。
状況は良くなったり、前以上に悪くなったり、他人から叩き潰され・傷つけられたりと、全く予断を許さない状況だ。
1番きつかったのは2年前からの半年間だ。今は多少風向きは変わった、とはいえ、目の前に函谷関がそびえ立っているのは変わらない。
やばい状況にこうも度々襲われると、だんだん慣れてくるものだ。乗り越えたとか克服したなんて感覚は一切ない。
ただ、慣れただけだ。
別に乗り越えなくていい。ただただ慣れていけばいい。
取り組みさえやめなければ、ある日ふと、状況が変わっていることに気づくはずだ。
ここで、どん底に喘ぐ方におすすめの書籍を紹介しておこう。
答えの出ない事に悩みまくって時間を無駄にするくらいなら、本一冊読めばいい。
他人はあなたを助けないけど、知識と実践はあなたを助けてくれる。
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