「お勉強は社会じゃ役に立たん」
「社会で揉まれて対人能力磨くほうが大切」
といった意見をよく耳にするわけですが、はい、これ僕の職場ね。
これ聞くたびにね、(終わってんな)と思うわけですよ。学びが大好きな僕は。
まぁたしかに、
終身雇用はすでに崩壊、学歴引っさげればイージーモードが終了した今の日本においては、学歴=勉強が将来の幸せに直結するなんて、素直には信じられないでしょう。
たしかに、勉強と対人能力は別でしょうよ。ましてやビジネスとなれば、学業の成績とか学歴などは一切関係ない世界です。
とはいえ、意味がないから「勉強しない」というのは、あまりに早計ではないかなと。
・勉強してる
・勉強してない
では、大人になってから大きな差が出るのは揺るぎのない事実。
賛否両論あるでしょうが、残念ながら揺らぎようのない事実であります。
勉強しなかった子は、大人になるとどうなるか
子供の頃から勉強などロクにしたことない、むしろ頭の悪さを開き直り、学業に励む子をバカにしてきた。
マンガは読んだけど書籍は手に取ったこともなく、知識もなければ教養もない。そして、それが許される家庭環境であると。
つるむ友達も同レベル。
そんな彼らは、大人になってからどんな人生を歩むのでしょうか?
少しシミュレートしてみましょう。
いろんな意味で無知は犯罪
無知に暴力性が合わさると、反社会的な人生を送ることになるでしょう。一歩間違えればですが。
反社会的人物とは、つまりは、己の本能的な欲求を満たすためには平気で他人を傷つけられる人たち。
勉強を通してはじめて、人は「理性」を身につけることができます。
理性を身につけることで、人は「本能からくる欲求」を抑え、合理的な決断ができるようになるのです。
つまり、生まれつき暴力性はあっても、幼少期からマジメに勉強することで、それを抑えることができるのです。
ところが、幼少期から勉強から無縁で、学ぶことを軽んじてきた人は、この本能を抑えることができない。
まぁ、数多の修羅場をくぐるとか、彼らなりに学ぶことはあるんでしょうけども、それは、
「法に触れない範囲で、善人を如何に効果的に脅すか」
「相手を如何に精神的に疲弊させ、金をむしり取れる状態までもっていくか」
「如何に相手をだまくらかして金をむしり取るか」
といったクソ知恵やクソスキルがほとんど。
とりあえず、本能のおもむくままにしか行動できず、自分を律することができない。
が故に、他人を幸せにするとか、社会に貢献するといった考えをもてないのであります。
思考の時間軸が短い
勉強してこなかった人は、「思考の時間軸」が短い傾向にあります。
今のままの自分が数年後どうなっているか?を考えられない。
未来の自分を取り巻く環境がどんなものであるか、これを思い描くことができないのです。
知識がないから、無知であること自体にも気づくことができない。
考えられない。
考えたとしても、それはせいぜい来月のことまで。数年先の仮説なんて、とてもじゃないが立てられないのです。
法治国家においては基本的に人は平等とされていますが、スペック面(頭脳)においては、人は平等ではありません。
それが顕著に見てとれるのが、この「思考の時間軸」です。
「思考の時間軸」を基準にすると、人には4種類に分類できるとされます。
・1週間単位でしか考えられないタイプ
・1月単位であれば取り組めるタイプ
・1年単位で考え取り組むタイプ
・数年先の長期的スパンで考え取り組むタイプ
1週間単位でしか物事を考えられないのは、せいぜいバイト止まりの思考ですね。
そこからバイトリーダーや社畜さんに上がるには、1月単位で考え取り組む能力が求められます。
管理職クラスは、1年単位で仕事を進める器と能力が必要です。
経営者クラスであれば、5年10年後といった長期スパンで物事を真剣に考える思考と器が必要ではないでしょうか。
と、ざっくり括ってみたわけですが、
ここで重要なのは、幼少期の頃から勉強せず現在進行形で勉強しない人は、この「思考の時間軸」が短いということです。
将来を考えるといっても、ゴミのようなビジョンしか描けないのです。
だから、
なんとかなるさ〜
今が良ければそれでいいじゃん
といった短絡思考になるわけです。
予測できない未来を思い悩むくらいなら、そのほうが幸せだという意見もあるでしょう。
でも、何の対策も打たないまま惰性で過ごした挙句、いざXデーが来た場合はどうするのか?
と、僕は思うわけです。
社会の仕組みがわからない
勉強してこなかった人は、世の中の仕組みがわかりません。
特にお金の流れがわからない傾向にあります。
・誰が得して誰が損しているのか
・誰が誰を搾取しているか
・その仕組みの本質部分は何か
に、いつまでたっても気づけない。
結果、その搾取構造の罠に自分がハマってること自体に気づけないのです。
「学んだ」その努力経験こそがアドバンテージ
学業の価値とは、「努力して学んだ」という経験にあります。
まともな大人であれば、自分の現状を鑑みて、勉強がいかに大事かを思い知るはずです。
ところが、そこに気づけたとしても、「努力して勉強した」経験が無ければ、なかなか長続きしません。
勉強の仕方がわからないから。
「努力して学ぶ」習慣が身についていないから、すぐにやめるのです。
子供の頃に勉強しなかった、一冊の本すらまともに読んだこともないような人は、いざ学ぼうとしても難しいです。
不可能ではありませんが、難しいと思います。
一方、努力して学業に取り組んだ経験のある人は、
「ゴールが見えなくとも、しっかり腰を据えて努力し続けられる」マインドが身についているため、
勉強に比較的容易に回帰できます。
達成する喜びも知っているので、何歳になろうとも、必要とあらば勉強することができるのです。
大人になってからでも遅くはない
幼少期からの勉強経験の重要性をこれまで述べてきました。
が、これは別に子供の頃から勉強してなければダメだというわけではなく、
もちろん、大人になってから勉学に目覚めることが全然遅いというわけではありません。
僕の周りだけ見ても、高校まではヤンキー生活だったけど、社会人になってから一念発起し勉学に励み、行動を起こし、現在成功を収めてる人は何人もいらっしゃる。
ハリウッド俳優の渡辺健も43歳から英会話に取り組み、現在英語ペラペラなのはご存知でしょう。
そう。学びに早い遅いはないのです。
一番良くないのは、勉強した経験がないからといって、やる前から諦めるということ。
年齢を気にするのであれば、勉強の必要性に気づいた今現時点が一番若いということは、決して忘れてはならないことです。
繰り返しますが、勉強に早い遅いはありません。
気づいた今こそ、やるかやらかないか。それが、あなたの今後を左右するのです。