言うまでもないことでしょうが、『努力と結果は必ずしもリンクしない』ということは肝に命じておくべきでしょう。
努力が期待どおりの結果につながるなんてのは稀です。「死ぬ気で努力」したとしても、稼げなければそれはシコった後の虚無感と一緒で、あなたの人生に与える影響は皆無に等しい。過程や努力を褒めてくれるのは学校と公務員だけです。
一方で、
世の中には、そこまで努力しなくとも結果を叩き出すタイプが存在します。彼らは、勝つことが当然であるかのごとく勝っていく。まるで、善良なだけでさしたる取り柄のない凡百の努力などあざ笑うかのように。
この差は一体何か?というと、彼らと凡人とでは「見えている景色が違う」の一言に尽きるでしょう。たとえば相場環境やビジネス環境を見るにしても、凡人には見えない光景が彼らには見えている。物事の「本質」というものを見抜く力が、彼らには宿っているのです。
ビジネスにしても何にしても、そうした「本質」を抑えられているか否かはダイレクトに結果に反映されます。彼らはその「本質」がどこにあるかをすぐさま見抜き、自分のフィルターに取り込むことができる。
この本質を見抜く力のことを「才能」といいます。そしてこの「才能」をもつ人達のことを「天才」といいます。
凡人に残された選択肢とは、ほんの一部の天才たちのもつ圧倒的な「才」を称え、その前にひれ伏すこと。それしかないのでしょうか?
そうではない、と僕は答えます。
ほとんどの人は負けるべくして負けている
スポーツ・ビジネス・芸術・投資から普段の何気ない労働に至るまで、およそあらゆる分野においては、その道の天才が存在します。彼らの圧倒的な能力の前では、凡人の努力などまるで最初から無かったかのごとく踏みにじられる。
あまりに残酷なこの現実を前に、潔く諦める人は多いでしょう。また、諦めきれずにしがみつく人もいれば諦めることもしがみつくこともできず、ただただ悔しいばかりで自暴自棄になる人もいる。
「時間を無駄にしないためにも、素早い諦めが重要だ。」
確かに、モヤモヤ悩むだけの時間は無駄以外の何物でもありません。自分の無力さを嘆くくらいなら、いっそのこと潔く諦めて次に切り替えたほうが、時間を無駄にしないという意味でよほど合理的です。余計なストレスも感じなくて済む。
ここで一つ、言わせてせていただきたいのが、
安易な諦めは人生を劣化させるということです。凡人が「さっさと諦める」というのは、往々にして、投げ出すには早過ぎる局面であるのがほとんどであります。
「諦めたら試合終了」
あまりに有名なこのセリフ。陳腐に聞こえるのは、そこに典型的な日本の精神論の響きがあるからでしょう。
しかし皮肉にも、これが正しく機能する場面は案外多い。精神論も役に立つだなんて低次元な話ではなく、「諦めなければ報われる」にはちゃんと合理的な根拠があるのです。
「ギフト」がなくとも天才とは闘える
僕は生まれつき諦めの悪い性格のせいか、これまでの人生の中で潔く諦めたことはほぼありません。あるとすれば女くらいでしょうか。
めぼしい才能は特にないかわりに、諦めの悪さだけは一級品なのであります。学生時代に熱を上げていたスポーツであったり、社会人になってからの仕事であったり、はたまた投資などのサイドビジネスにおいても、だいたい人並み以上の結果を出せるに至りました。
何が言いたいのかというと、
1.継続することで「知識」と「スキル」を蓄積することができる
2.蓄積された期間が長ければ長いほど、そこには膨大なパワーが宿る
3.膨大なパワーの宿った「知識」と「スキル」をもってすれば、中途半端な才能など捻り潰すのは容易い
つまり、長期間継続することができる凡人は、中途半端な「ギフト(才能)」よりも上である、ということです。
もちろん継続するだけでは意味がありません。そこに「PDCAサイクル」がなければ成功できないわけですが、そういったクソ細かい話は今回は割愛します。
とにかく、天才に対抗できる唯一の方法は「意思の強さ」と「継続力」なのです。これは僕が勝手にほざいてるわけではなく、アメリカなど海外の学会できちんと検証・証明されていることであります。
もっとわかりやすく具体的にいうと、天才に対抗できる唯一の方法は「物事に対する情熱」であり、また「何かの目的を達成するためにとてつもなく長い時間、継続的に粘り強く努力することによって、物事を最後までやり遂げる力」のことなのです。
この力のことを、『グリット(GRIT)』といいます。(引用元:成功者が共通して持つ「グリット」という能力–才能でも、努力でもない第3の要素とは?)
ギフト(才能)にはグリットで対抗可能
もちろん「才能」や「IQ」は重要な要素です。無いよりは有る方がずっといいに決まってる。しかしながら、こと成功を収める上では、「才能」や「IQ」だけでは決定的な要素足りえない。
成功を収める上で最も重要な要素は「グリット(GRIT)」。
情熱を燃やしながら長期間取り組める姿勢。そこから生み出されるパワーこそが、天賦の才を打ち負かすことができる唯一の方法なのです。歴史を見れば、類い稀な才能をもちながらも、継続的に腕を磨き続けてきた凡才により最終的に食われたという例は枚挙にいとまがありません。
なぜ、継続力がここまでパワーを発揮するのか?
ほとんどの人が継続できないからです。
天才・凡人問わず、人間というのはとにかく続けることが苦手です。苦を避け楽なほうに流れるというのは、あらかじめプログラムされた人の本能なのであり、長期間継続するというのは本能からの指令に逆らう大変な作業であります。
大多数の人は本能からの指令に勝てないままに、やがては継続不可能に陥るのです。
つけいる隙があるとすれば、ここ以外にありません。ひたすら継続するだけで、ライバルの大半はほっといても脱落してくれる。
ブログなんてまさにそうで、新規参入は多いけど、その大半は半年で更新止まりますからね。1年以上も続けられる人はごく少数派です。
凡人が諦めなければならない時
とはいえ継続すれば万事OKなのかといえば、そうではありません。いくら継続したとて、そこはやはり凡人。
「努力を継続する天才」にはどうあがいても勝てません。
生まれ持った天賦の才を振るいながら、真摯に作曲に取り組み続けたモーツァルト。18世紀のヨーロッパにおいて、およそ彼に勝てる作曲家など皆無でした。
「レクイエム」の一節『ラクリモーサ』
キリスト教的純潔に満ちた「至上の美」ともいえるこの曲を書き上げたのが、
よりにもよって、放蕩の限りを尽くした『ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト』
「才能」とは、善良な凡人の努力を踏み潰すおそろしいものだ。
Mozart – Lacrimosa https://t.co/6xtsfpWaSQ @YouTubeより
— 伴 (@patoriot82) 2017年11月17日
いうなれば彼らはバケモノ。バケモノに真剣に立ち向かえば立ち向かうほど、己の無力さを思い知らされるだけです。勝つ見込みのない戦いは、避けるほうが懸命です。
圧倒的才能を目の前にして、嫉妬に駆られた凡人がどういった行動をとるのか?
それを知るに最適な映画を紹介します。
『アマデウス』
「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の生涯、というよりもむしろ、モーツァルトと同時代を生きた作曲家「アントニオ・サリエリ」を描いた作品です。
偉大なる作曲家であることを誰よりも切望しつつも、モーツァルトの理不尽なまでの才能を前に、サリエリは自分が凡人であることを痛いほど思い知らされます。
しかも自分に与えられた唯一の才能とは、皮肉にも「モーツァルトの天賦の才を見抜くものでしかない」ことに気づいたサリエリは、あまりの嫉妬に怒り狂い、神を呪いながら危険な方向に狂っていきます。
1984年発表のとても古い映画ですが、映像はあまりに素晴らしく古臭さは感じられません。TSUTAYA DISCASであれば30日間は無料で視聴できます。
もっともこれは極端な例であります。現実には、僕ら凡百が、モーツァルトやイチロー、ジョブズなど「腕を磨き続ける天賦の才」のようなバケモノに出会うことはまず無いでしょう。
僕らが照準を合わすべきはあくまで、大多数の凡人どもか継続できない天才達です。彼らに勝つだけでも、結構いい線いけると思いますよ。