学校が嫌い・行きたくない人を勇気付ける。不登校児だった僕が学校には行く必要がない理由を語ろう。

スポンサードリンク

僕は義務教育に対して否定的なスタンスです。僕自身が義務教育に向いてなかったためか、小中高とほろ苦い学校生活=青春時代を余儀なくされました。ケンカが強かったのでイジメられることはなかったが、先生方からは蛇蝎のごとく嫌われておりました。

 

嫌われ者だからこそ、学校教育というものの欺瞞を冷静に分析することができるのも事実です。今回は学校教育がいかに弊害だらけかを述べます。合わせて学校嫌いの方や登校拒否な子供たちを勇気づければと考えています。

 

学校教育への個人的な仕返しの意味も多分に込めてます。

 

では、いきましょうか。

僕のバックボーンは学校嫌い

まずは、僕が学校や組織を嫌うに至った背景を綴っときます。

 

規則が大嫌いなのは生まれつき

僕は子供の頃から社会性ゼロだったんですよ。学校や友達間ではしょっちゅう問題を起こしてました。学校特有のあの強制的な雰囲気がたまらなく嫌で、やれと言われたことは頑としてやらない、やるなと言われたことは率先してやる、そんな子供だった。教師の存在を腹の底から軽蔑しており、中身のない指導には真っ向から刃向かう。当然、先生から好かれたことは一度もない。

 

大人になれば、組織における『集団行動的なるもの』が尊重されますが、これほど無意味なものはありませんね。その原型が学校にあると考えています。そう、学校特有の規則でがんじがらめにする洗脳的な雰囲気。アレですアレ。

 

暗黒の中学・高校時代

勉強はそこそこ得意だったので、愛媛県下トップクラスの名門校「愛光学園」への中学受験にたまたま合格することができました。どう考えても、自分は名門校なんて柄じゃない。うっすらとそう感じてはいたが、当時は影響されやすい中二病真っ盛り。もともと自信家の僕は周囲からのおだてに安易に乗ってしまい、愛光学園への進学を決定してしまいます。この致命的ミスが、僕の中学・高校生活を人生の黒歴史へと塗り替えることになろうとは、当時は想像すらしてなかった。

 

当然、名門校での生活は次第に合わなくなる。あまりにも嫌すぎて毎朝登校前に吐き気を催すほどにね。学校にだけは行きたくなかった。サボる日も次第に増え、出席日数は毎年ギリギリ。そんな状態が6年間も続いた。

 

一体何が合わなかったのかというと、メインは周囲との人間関係です。僕の周りにいたのはクソマジメな優等生軍団、将来は大企業のエリートサラリーマンかキャリア官僚が確定されてるような面白みのない連中ばかり。教師といえば、これまた品行方正でクソマジメな連中だ。まぁ名門校だから、そこは仕方がない。むしろ、僕がイレギュラーすぎて場違いだっただけだ。つまはじきにされたのも当然の話でしょう。

 

ある意味、重要な人格形成期

友達など1人もできず孤立無援状態が続く中、幼い僕には一つ学んだことがある。人には価値観というものがあって価値観が違う者同士は、たとえ死のうが生まれ変わろうが、未来永劫分かり合えないってことを。先生からの評価を気にし、規則を守ることに終始熱心な優等生軍団と、目的達成とあらば手段など選ばない僕が理解し合えるはずがないのである。人間関係の断捨離を覚えたのもこの時だ。

 

学校教育や優等生軍団に対する嫌悪感は、オトナになった今でも何一つ変わっていない。現在の僕は桁違いの覇気をまとい平均以上の知能とスペックを兼ね備えているので、学校教育に付随する連中がいかに欠陥まみれであるかを冷静に分析できるようになった。学校教育はオワコンだ。自信持ってそう言える。

スポンサードリンク

 

暗記至上主義が子どもの知性を奪う

日本の学校教育は極端な詰め込み型教育で、知識をどれだけ頭に詰め込むかが評価に直結し、先生方からの扱いも決まる。つまり、どれだけ記憶したかがモノをいう世界だ。

 

頭に詰め込むのは結構だが、知識単体では全く意味をなさない。知識は活かされなければ全く価値はないのだ。いい加減気づけ。こんな当たり前のことをわかってない人は結構多くて、大人から子供まで蔓延している。一種の病気か。とりあえず覚えたらOKと?何をバカなことを。

 

知識を蓄えるという行為は、思考の幅を広げるためであり同時に行動の幅を広げるためのものなのである。つまり、考え行動するための羅針盤として活用するための知識なのだ。

 

ところが、学校で教わるのは、ほぼ100%丸暗記して試験に備えることが目的となってしまっている。度を超えた暗記至上主義が押し付けられ、もっとも大事な自ら考える力が置き去りにされている。知識をどう活かすかなど完全無視だ。

 

「しつけ」が子どもの主体性と個性を消し去る

学校や組織は団体行動を押し付けることで人をしつけようとするが、これは、人の個性を消し去り画一化するためだ。団体行動には人の個性を消し去る効果がある。個性が素晴らしいかどうかは関係ない。どんなに飛び抜けた才能があろうとも、突出した部分は叩いてある程度フラットにしようとする。これが、学校側の方針だ。

 

なんでこんなことするのかというと、個性なんてものはサラリーマンや公務員になるには邪魔な要素だからだ。すごく単純な話。

 

つまり、暗記至上主義で子どもたちから考える力を奪い去り、団体行動を押し付けることで子どもの個性を塗りつぶす。これは全て、従順な公務員やサラリーマンをつくるためだと考えられる。学校で真面目で優等生であればあるほど、社会が望む従順な社畜となれるわけだ。僕が昔から学校や組織が気持ち悪いのは、こういったカルト的な洗脳に生理的嫌悪感があったからだ。

 

ここまで語れば、学校が社畜養成機関だということがおわかりのはず。昔は終身雇用が約束されていたので、社畜で生きることの方が効率的だったかもしれない。真面目に働くことで忠義を示せば食いっぱぐれはなかったからだ。しかし今は違う。リストラ、倒産、企業のブラック化、非正規雇用の増加といった具合に終身雇用などとはほど遠いのが現状だ。

 

つまり、今は社畜では生きていけない時代だといえる。自分で稼ぐことができる、自立した人間のみが生きていける時代だ。自立して生きるためには、当然自立した思考力が必要とされる。思考を消し去るのが目的の学校教育は、時代にマッチしてないどころか、僕らにとっては弊害でしかないわけだ。

 

学校に依存する時代は終わった

学業が優秀だからとて、それが地頭の良さを証明するものではありません。学業で問われるのは暗記という作業能力が優れてるか否かだから。学業面で落ちこぼれたからといって、それがあなたの無能を示すものでもない。

 

ただし、勉強をないがしろにしろというわけじゃない。世の成功者は常に勉強している。大人だろうが子供だろうが学ぶことはとても大事だ。特に子供の間は学ぶ習慣を身につける基盤となる時期だ。学び無くして成功はない。

 

要は学べればいいのだ。他はどうでもいい。学べればいいのであれば、学校に依存する必要はない。今の時代、優れた教育ツールなんてたくさんあります。引きこもったままでも学力を蓄えることは十分に可能だ。それに学校行かなければ、洗脳されたり悪影響も受けずに済むしね。実に羨ましい時代じゃないか。

 

最後に

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

最後に、僕の持論を一つ。優等生なのは結構だが、学校に従順な奴はおそらく貧乏化する。

 

スポンサードリンク

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

プロフィール


管理人の伴です。

公務員でありながら公務員をこよなく嫌う社会不適合者。

ワーキングプア脱出のため、アレコレ考え実践しており、守備範囲は主に株式投資はじめお金に関すること。

若干貧しく育ったためか貧困問題にはやたらと敏感。コンプレックスの裏返しか。

【好きなもの】
MacBook、マクドナルド、コーヒー、カレー、自慢の腕時計、自慢のリーガルシューズ。

【嫌いなもの】
公務員、ヤンキー、スタバに来るうるさいオバはん。

詳しいプロフィールはこちら