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幸せとは何ですか? ← そもそも、人は幸福になれるようプログラムされてない

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『幸せとは何か?』

この問いに対する答えは、人それぞれでしょう。

物質的な豊かさを得ることが幸せだと言う人がいれば、人間関係の暖かさや家族の温もりに幸せを見出す人もいます。

社会に貢献できることが何よりの幸せだと語る人もいれば、金銭欲や名誉欲、あるいは権力欲を満たすことが何よりの幸せだという人もいる。

平穏な日常にささやかな幸せを感じる人がいれば、人の平穏をブチ壊すことに幸福を感じる人もいる。

宗教にのめり込むことでしか幸福感を得られない人もいるでしょう。

幸せの定義とは人それぞれ千差万別なわけですが、唯一、万人に共通するものがあります。「幸せになりたい」との願い。それが、ほぼ唯一ともいえる人類の共通事項なのであります。

 

「人の一生とは何か?」と問われれば、「幸福を追い求める行為である」と僕は答える。

幸せを追求できるから人は生きられるのです。人が自ら命を絶つのは、幸せを追い求められなくなったからです。

今回は、「幸福」というものの本質を述べてみたいと思います。宗教の勧誘などではありませんので、ご安心してお読みください。

憲法第13条「幸福追求権」ほど残酷な条文はない

日本国憲法第13条には、「幸福追求に対する国民の権利については最大限の尊重を必要とする」との記載があります。これがいわゆる「幸福追求権」です。

敗戦後に制定された日本国憲法にはアメリカ的民主主義の影響が色濃く出ており、この条文もアメリカ独立宣言からの丸パクリであるのは言うまでもありません。

「幸福を追求する権利を保証する」

なんとも素晴らしい響きでありますが、これではまるで「誰でも幸せになれる」との誤解を与えかねない。当然ながら、人の幸せなど誰も保証してくれるものではなく、法が保証するのはあくまで幸福を追い求める権利だけ。実際に幸せになれるかどうかは知らん、というわけです。

僕のような斜に構える人間からすれば、この条文ほど残酷で悪意のこもったウィットはありませんね。だって…

幸福とは追い求め続けるだけのものであって、決して掴めるものではないのだから。

もし、全てを承知しながら敢えてこれを条文化したのであれば、起草者であるトマス・ジェファーソンは凡庸ならざる人物だといわざるをえない。

 

人は『幸せ』になれるようにはプログラムされていない

実際に幸せを実感できる瞬間など、人生においてはまばたきほどのものでしかありません。ましてや『真の幸福』なんて人生にはありえない。

人間は「足るを知らない」動物だから。

たとえ今の欲望が満たされたとしても、次はより一層強い欲望に苦しむものです。幸福とは追えば追うほどに遠ざかる蜃気楼のようなものであり、決して手に入るものではないのであります。

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石油が地球環境に悪いというのは今や世界共通の認識ですが、石油依存をやめるどころか年々消費量が増えてるのは、目先の利益を優先する人が多いからでしょう。人類は地球環境よりも今の幸福追求を選択したということです。

そこに気づいたからこそ僕はエクソンモービルの株を買い続けてるわけですが、「カタストロフィ(破滅)と引き換えにしてまで幸福追求してんだから、世界は今さぞかし幸せなんだろな?」といえば、そうでもないのは皆さんご存知のとおりです。

 

昨今の北朝鮮(南も)・中国・中東のように延々と争いを繰り返そうとするのは、他人の幸福追求を踏みにじることが、彼らの幸福追求に繋がるからであります。

戦争なんてものは、互いの国(=権力者)の幸福追求がぶつかり合った挙句に起こるものです。平和なんてものは幸福と一緒で、一時のまやかしに過ぎない。それを見越しているからこそ、僕はレイセオンなど軍需産業の株を持ち続けるのです。

かくいう僕自身も、目標の資産額を達成できた喜びもつかの間、より上位の投資家の運用額や副業収入を見せつけられることで、より強い劣等感に苛まれるというね。

 

幸福追求への念が強ければ強いほど幸せは遠ざかります。必死になって目標を達成したとしても、そこまで幸福度が上がらないのは皆さん経験済みでしょう。いや幸せどころか、次はより高い目標を前に自分の無力さを認識してしまい、以前よりも幸福度は下がってしまいます。

それが、僕らにデフォルトでプログラムされている『業』なのであります。

 

「幸福は手に入らない」という前提で生きる意味

「我欲を捨てれば幸せになれる」というのは宗教屋の常套文句ですが、そもそも我欲を捨て去るのと幸福には何の因果もありません。

僕が大学生だった頃、◯◯学会の友人が結構いました。その友人たちは当時、「幸せになりたきゃ金銭欲を捨てろ」「お金ではなく内面で勝負しなきゃ、幸せにはなれないぜ?」としきりに僕に語っていました。

 

あれから十数年。

 

現在の彼らはみな低所得者として日々の生活に悪戦苦闘しています。相変わらず信仰心は保っているようですが、生活苦の前にはとても幸せそうには見えない。どっからどう見ても強がってるようにしか見えない。

そんな彼らを見て、「宗教とは幸福を保証してくれる手段ではない」ということを、改めて確信した次第であります。

 

どんなにあがこうとも真の幸福は手に入らないのであれば、「そんなもんだろ」と粛々と受け入れるしか手はありません。

諦めろと言ってるわけではありません。

小さな目標達成を喜びつつも、超えられない壁にもきちんと向き合い、静かに闘争心を燃やし、消耗しない程度にコントロールしながら自分の能力を磨き続ける。

幸福への関心を減らすのです。

それこそが幸福にはなれずとも、少なくとも不幸にならずに済む唯一の方法だと、僕は思うのです。

 

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