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ブログ運営の云々|継続できる人とやめる人の差

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当ブログ「伴 OFFICIAL BLOG」を立ち上げ、もうじき3年だ。あげた記事数は、この記事を含めて286。

キリのいい数字ではないが、これまで定期的に目を通してくれてる方々には、ここで改めて御礼を申し上げたい。

自分でいうのもなんだが、

当ブログの1記事にかける僕の熱量は相当なものである。中途半端な姿勢で仕上げた記事は、これまで1つもない。

その時その時点での「最大の関心ごとに対する考察」「入魂の思い」で綴ってきた。

読まれるかどうかはさほど気にしない。批判もクソリプも気にしない。どの記事も僕にとっては傑作である。

全てが傑作とはいえ、あまり紳士的とは言い難いものは隠してるので、それらを合わせればトータル330は下らないだろう。

我ながら(よくもまぁ、これだけ書いてきたもんだ)と呆れると同時に、

(ここまで執念深く書き続けているのは、一体何故か?)を考えてしまう。

「個人ブログはなるべく検索から外そう」とのGoogleの意向が露骨になってきた昨今、特に個人においては、

「ブログにいかに向き合うか」が、継続する上では強く問われるところである。

今回は、ブログ運営に関して僕自身が特に大切だと思う要素を抽出してみよう。

 

「稼ぐ」が目的ではモノ書きは継続しにくい

ブログで稼ぐのは否定しない。稼げる人は大いに稼げばいいと思う。

当ブログも5万ほどの月間収益があるので、「稼ぐ」がモチベーションになるのはよくわかる。

が、単に「稼ぐ」だけが目的なら、僕はここまで書き続けられなかったと思う。

中には、今だにアフィリエイト記事をひたすら上げ稼ぐ人もいるが、(割りに合わない)との思いが先立ち、書く気が萎える日が来てもおかしくはない。

稼ぐためにブログを書くということは、それはつまりネットビジネスをするということだ。

ビジネス目的となれば、ブログ運営は一気にハード化する。

毎日頑張って書き上げ、都度リライトを繰り返した挙句に、肝心の広告元が去り売上が消えるとか、テンションだだ下がりもいいとこである。

独自の商品があれば話は違うが、他人のふんどしで商売してる限り、どこまでいっても状況はリスキーだ。

リスクヘッジのために、記事をたくさん作らんと日々頑張るんだろうが、それは精神の安寧とは程遠い状態である。

そこまでやった果てに、検索順位=集客力Google先生次第とかブラックそのものだろう。

なにより、稼ぐ目的で書かれた記事は稼げなければ存在意義はない。ネットにおいても自分にとっても価値はゼロだ。資産性もクソもない。

つまり「稼ぐ」が目的だと、稼げなくなった瞬間から書く意義が消えるのである。

 

訴えたいものはあるか

ブログ本来の目的は「訴えたくて仕方ないことを訴えられる」ことにある。と僕は捉えている。

モラル無視は論外だが、発信することで承認欲求や自己顕示欲が満たされるなら、それはそれで良い。

ましてやその記事で救われる人がいれば、人のお役に立てるのなら、書き甲斐があるというものだ。

そう。僕がブログを書き続ける理由とは、単に「訴えたいものを訴えやすい」「自己顕示欲を満たせるから」に他ならない。今のところは、それ以外に理由はない。

「オピニオンは読まれない」等々、散々言われてきたが、オピニオンこそブログ本来の姿である。個人レベルでできる最大の強みだ。

オピニオンは動画よりもテキストのほうがふさわしい。相手の頭にも残りやすい。

そう思うからこそ継続できる。モチベーションが保ちやすい。

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インプットはあるか

とはいえ、一個人の意見で「影響を与える」のはそう甘いものではない。

私生活面や感想など、さして珍しくないものをいくら賢しげに語ったところで、誰からも相手にされない。寂しい思いするか・恥かいて終わるのがオチだ。

インパクトを与えたいなら、人の記憶に残ることを訴えることだ。

「人が普通に生きていては気づき得ないこと」を訴える必要がある。

そのためには自分が普通のステージから離れる必要がある。

そのためにはインプットが何よりも必要だ。学ばなければ。学ぶ理由になるのもブログの魅力である。

「ネタがありません」というのは「インプット=学び」が無いからだ。

どんな人でも、毎日真剣に生き、自分自身に対し誠実に向き合っていれば、そこに1つ2つの「気づき」があるはずである。

何かを学び・経験を繰り返していれば、書くネタが無いなどまずあり得ない。

 

ブログはアウトプットの場ではない

「記事書く=アウトプット」と言う連中がいるが、勘違いも甚だしいよねと。

(知識やノウハウを記事として書けば、それが血肉として残る)などと本気で思ってるとしたら、相当におめでたい奴である。

しかもその手の薄い記事は例外なくGoogleからはじかれると。

ブログは記録。どこまでいっても単なる記録であり、アウトプットではない。

インプットした知識は、実行動・経験といったフィルターを通さなければ何の価値も生み出さない。

行動し経験して何らかのフィードバックを得た上で、自分なりの改善点を語ることが「アウトプット」だ。

ただの「知識のお披露目」を賢しげに書くことがアウトプットじゃない。くだらない駄文をお披露目しているから、長続きしないのである。

ブログは単なる記録と述べたが、自らの行動・経験・挑戦・反省を綴るような記録であれば、他人からすれば類を見ないほどのコンテンツとなるだろう。しかもそれは後々「自己分析」にも役立っていく。

そのサイクルを見出せば、そしてそこに「楽しさ」と「喜び」を見出せる。

それらを見出せれば、書くことに抵抗はなくなる。普通に習慣化できる。

ブログは楽しく書くこと。自分が楽しむのが第一。これがブログを継続する上で最も大事なことだ。

 

文才や文章力を過大評価するな

文才や文章力は、ブログにおいてはさほど必要ないと思っている。

ブログはあくまでも記録であり商品ではないからだ。洗練された書き方にこだわる必要は特にない。

文章がいくら拙かろうが、おもしろい記事はおもしろい。内容に上記のサイクルが込められているものは、文体がクソだろうと面白い。

逆に、どんなに読みやすく整った文体でも、つまらないものはつまらん。

文才はたしかにある。

文章力とは、持って生まれた資質、美的センス、良書や名文学にどれだけ触れてきたかによるからだ。

とはいえ、どんなヘタクソでも、ブログ程度であれば訓練すればそこそこのものは書けるようになる。

となれば、文才や文章力に一体何の意味があるのか?と。ブログなんざ、人が読んでわかればそれでいい。

本質はあくまで「何を訴えるか」だ。自分が価値を感じる意見や価値観をテキストをとおして訴える。

わかりやすい文章など訓練次第で誰でも書ける。読む相手の気持ちを考えて書けば、そこそこのものは仕上がる。

ブログに方程式はない。ノウハウも必要ない。「書き方」なんぞくそくらえだ。

といった具合に、気軽な気持ちで望めばブログは続けられる。

素晴らしい文章に拘りすぎると、いずれは疲れ果てて継続できなくなる。それは本末転倒というものだ。

 

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ワーキングプア脱出のため、アレコレ考え実践しています。守備範囲は主に株式投資・経済関連のウンチク・働き方・メンタル系。雑学王を自称してます。
 

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