「オレ達には生産性がないんだよなぁ」とは、公務員の方々がよく口にするセリフです。お会いするたびに必ず口にするほど律儀な方もいらっしゃいます。
自虐ネタにしか聞こえないセリフですが、どうにも彼らの口調から感じられるのは、単なる自虐ではなさそうだということ。
言葉とは裏腹に、喜々として語っているじゃないですか。これは一体どういうことか?何を伝えたいのかがよくわからない。
「そんなことないですよ。公務員さんだって、仕事という立派な価値を生み出してるじゃないですか。」と言って持ち上げて欲しいのだろうか。それとも単なる自虐なのか?
と、甚だ疑問に思うわけです。
公務員の十八番?とも言えるこのセリフの裏には何があるのだろうか?
ということで今回は、彼ら公務員の深層心理を読み解きながら、彼らのいう生産性について考察してみようと思います。
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実は褒めて欲しかったりするのか
「オレ達には生産性がない」などと自虐ともいえるセリフを口にするのは、特に、転職経験に乏しい方に多いように見受けられます。
本人からすれば、転職経験ゼロ=バックボーンが薄いとでも感じているのでしょうか。たった一つの仕事しか知らないことにコンプレックスを感じているようにも見えます。
「そうか。あなた方は生産性がないのか。」などと言葉通りに受け取るのは早計でしょう。
別に言わなくてもいい自虐ネタをあえて口にするということは、プライドの高さの裏返しである場合が多いからです。自虐なんてとんでもない。収入面では鉄壁の安定度を誇る公務員という身分に、実は、優越感を感じているのかもしれません。
彼らの自虐ネタには安易に賛同してはいけません。
「そのとおりですよね。」などと乗っかるのはダメな返し方の最たるものでしょう。過去に、僕はその返し方をしてしまうことによって、その後2度と口聞いてくれなくなった、なんて方は1人2人ではありません。
自虐は自虐でも、彼らの発言はどうやら純粋な自虐ではないようです。
ならば、何なのか?
要は、生産性ないけど腐らずマジメに頑張ってるオレを認めてくれ、ということなんですよ。自虐の裏には強烈な承認欲求があるのです。良好な関係を構築するには、その旨をキチンと拾ってあげなければいけません。
奥ゆかしさの裏に見え隠れする公務員の深層心理
彼らは自分の仕事が社会的に無駄であることに、ちゃんと気づいてるのです。わかってはいるけど、意地でも認めたくないだけなんですよ。
認めたくない感情と、それでもオレは社会的に価値があることをなんとか相手にもわからせたいという思い、2つの複雑な感情が交じり合うことで、言う必要のない自虐ネタをあえて口にしてしまうのです。
認めてしまえば、自分の社会的価値がゼロだということを認識しなければならないからです。ここは絶対に譲れない。
仕事にしかプライドを持てない彼らにとっては、「己の存在意義など実はゼロでした」など、断じて認めることはできないのです。これを認めてしまえばその瞬間、アイデンティティは崩壊し自我を保てなくなるのです。
ゆえに、自分には存在意義があるのだと思い込もうとする。自分の生き様を正当化できる都合の良い材料を探そうとするのです。都合の良い材料とは、「仕事に貴賤はない。」だとか「どんな仕事でも腐らず、真摯に取り組めるオレ。」とかよくあるアレです。
自虐なんてとんでもない。むしろその逆で、自虐の裏にはシッカリと強烈な承認欲求=(オレってステキ)アピールがあるわけです。徹底的な開き直りの中に強がりの混ざった複雑な感情か。なんとも奥ゆかしい。
実は会社員が羨ましいのか
とは言いつつも、公務員は会社員に対しコンプレックスを抱いています。公務員という仕事の性質上、決まりきったルーチンワークばかりで、お金という最もわかりやすい価値からは無縁だから。
営業成績を伸ばして会社に貢献するとか、人から喜ばれる製品を開発するとか、目に見える価値を生み出すこと、つまり「生産性」が自分にはない。
輝かしい「生産性」をもって働ける会社員の方々が眩しくて仕方がないのです。だから、無意識に引け目を感じてしまう。
そのコンプレックスを跳ね返そうと、「定年まで安定した収入があるぶん、不安定な会社員よりはマシだ。」などと小さな優越感に浸ろうとする。自分を無理矢理正当化しようとするのです。
会社員なら生産性があるのか?
一つ、疑問が。
そもそものハナシ、
会社員なら生産性があるって本当か?
企業は儲けることを前提として成り立ってるので、当然ながら社員一人一人も会社の利益に沿うように動かなければなりません。確かに、利益を出すよう働くのであれば、会社員それぞれにも生産性があると考えることもできるでしょう。
ここで忘れてはならないのが、会社員が必死に生産した利益は、結局は会社側の利益になってしまうということです。
生産しているのはあくまで会社であり、会社員は歯車に過ぎないというシュールな現実。これが、本質なのではないでしょうか。
その証拠に、サラリーマンの所得って、本来売り上げた利益に比べらと随分安く抑えられているでしょう。
組織側に手柄を奪われているのではないか。そう考えるのは決して不自然ではないはずです。手柄の大部分が奪われるのであれば、それは公務員さんの立場と何ら変わらないのではないのか?
生産とは0から1を作り出すということ
「いやいや、売上に貢献してるってことは、会社から価値を認められてるってことだ。」
「だから、オレには生産性もあるし価値だってある。」
そう仰りたい気持ちは、すごくよくわかります。
一つ、考えていただきたいのが、
そもそもその仕事は、あなたじゃなきゃ回らない仕事ですか?たとえあなたでなくとも、別の誰かが穴埋めするだけなのでは?ということ。
何かを生産するいうことは、オリジナリティを生み出すということです。当然ながら、そのクリエイティビティはあなたにしかできない唯一のものです。あなたの代わりなんて誰もできない。
そのような観点から見ると、会社員とて、組織の歯車にすぎない時点で、生産活動とは無縁ではないのかと。公務員ほど生産性からかけ離れた仕事ではないにせよ、ハッキリ言って大差ないよねと。
確かに、生産性のカケラもない公務員は無駄の塊でしょうけども、会社組織にだって無駄は多いのではないでしょうか。規模が大きくなればなるほど公務員化するのを鑑みればね。
日本企業は総じて利益率低い傾向にあります。利益率が低いということは無駄が多いということであり、組織運営に無駄が多いということは、従業員の仕事の大半も無駄なのではないか。そう考えることは、そんなに的外れではないはずです。
「生産性」を履き違えてはいけない
生産性があるのはあくまで雇用側なのです。僕らという人的資源を有効活用して(こき使って)モノやサービスを生み出し利益や成果に繋げる。これを生産というのです。
組織の歯車である時点で、生産してるとはいえません。そう、生産させられてるだけ。労働を搾取されてるだけなのです。いくら頑張ったとかは関係ありません。
生産性を語るに、会社員か公務員かなんてのも関係ないのです。