僕の親父は定年後して早くに亡くなった。
オヤジの人生は文字どおり働き詰めだ。勤務時間も不規則で、昼夜問わず働きまくっていた。夜中に作業服姿で出て行く姿をよく覚えている。オヤジの疲れ果てた背中が印象に残っている。休みも少なく、年末年始すらまともに家にいたことはない。しかも安月給。よく我慢できたなと思う。
今の基準からいえば、オヤジの会社は間違いなくブラックだろう。オヤジの寿命が短かったのは、過酷な労働環境で消耗しすぎたせいだ。間違いない。ただし、オヤジにも非がある。おかしな根性論を振りかざすのが好きで、ブラックな職場環境を当然と受け入れていたフシもあるから。
ブラックな職場環境って、往々にして精神論が溢れているもので、ブラックを根絶する前に、まずは精神論を正さなければならない。
今回は、精神論の正しい使い方を述べます。
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「気合いと根性でモーレツに働く」は間違い
今の働き方を見ると、仕事に取り組む姿勢って以下の2つに分かれている。
- 気合いと根性のみの昭和的な働き方
- 最短距離の省エネの合理的な働き方
この2つは価値観的に真逆だ。まず目的が全く違う。
前者のタイプにとって、働く目的とは仕事を終わらせることじゃない。彼らが働く目的は、気合いと根性を示すことだ。驚くべきことに、仕事を早く終わらせるのは二の次なのだ。このタイプは昭和的なオジさんに多い。
後者のタイプの働く目的とは、早く仕事を終わらせること。できる限り迅速に。それ以外はない。このタイプは比較的若い層に多い。
「今の若い連中は…。」「これだから、ゆとり世代は…。」オジさん達の常套文句だが、こうして若者を下に見るのは、根性論を無視してサッサと仕事を終わらせる若い連中が気にくわないからだろう。おっさんからすれば、働いてるように見えないのだ。
両者の働く目的は完全にズレてる。こうも違えば、対立するのも当然か。
気合いや根性を根絶する方法
気合いと根性のみの昭和的な働き方は、いわば精神論だ。精神論は論理性や合理性はゼロ。筋の通らないことを、気合いや根性で無理矢理おし通してるだけだ。
ここからは、精神論を根絶する方法を書く。以下の方法を実践する人が1人でも増えれば、精神論は減っていくはず。精神論が減ればブラックな労働環境も減るはず、と思うので。
ノリを捨てる
まず捨てるべきはノリの良さだ。
根性論がはびこる理由は、それに乗ってる人が多いからだ。そもそも、何故みんな乗ってるのかというと、単に周りがそうしてるから。同調圧力、これだけだ。人がノるに、さしたる理由はない。
ということは、もしオッさんらが精神論を振りかざしたとしても、誰も乗らなくなればどうだろうか。さすがのオッさんらも無茶ぶり出来なくなる。得意の精神論を振りかざせなくない。強がって精神論を振りかざしたとしても、誰も乗らないとなればサムい人で終わりだ。逆に、横暴はやめろという同調圧力が、今度はオジさんたちにふりかかる。
ノリを捨てることで、精神論者の影響力を削いでいくことは可能なのだ。
共感力をなくす
僕は生まれつき共感力が低いので、なぜみなさんが簡単に周囲に同調するか理解できない。
おそらく、日本人は何でもかんでも共感し過ぎなのではないか。悪いことでも御構い無しに共感しようとする。イジメなんかがそうだろう。
共感するのは、本当に良いと思ったことだけに止めておこう。周りがそうだから自分も乗っかります、は今日限りやめだ。そうすることで、つまらない同調圧力からも解放される。
自分に正直に生きる
共感力をなくせば、自分に正直に生きられます。
たとえば残業。サービス残業なんて本当は誰もやりたくない。残業が当たり前だと思うのは、精神論者に洗脳されてるだけだ。本当にやり甲斐のある仕事なら、頼まれなくとも残業するもの。残業を苦痛に思う時点で、それはやりたくない仕事だ。ダラダラ残業するくらいなら、サッサと切り上げるべきだ。
自分に正直に生きる人は、周りに何と思われようが残業など必要以上にしない。
何が善で何が悪かを、自分の中で作っておくべきだ。それが自分に正直に生きるということだ。
合理的な考え方を身につける
自分勝手に生きるにしても、そこに合理性がなければ精神論者とさして変わらない。
なぜ、そうするか?なぜ、そう考えるか?
に対して、
こうするのが最も効率がいい。
というふうに、自分の行動は明確に説明できなければならない。
合理的思考と根性論は真逆だ。根性論を否定するには、合理性を鍛えなければならない。合理的思考は一度身につけてしまえば、どんな精神論も簡単に論破できるようになる。
根性論が必要な時
ただし、僕は根性論を完全に否定するつもりはない。暑苦しくなきゃならない時もある。
僕が気に入らないのは、何でもかんでも根性論で片付けようとする貧しい思考回路。これでは暑苦しいだけのバカだ。
では、精神論が本当に必要な時とはどんな局面か。
根性論を出すのは最終局面
根性論が必要になる時って、物事の最終局面にあると思っている。
たとえば、何かのプロジェクトに携わった時。極限まで理詰めで攻めても、本当に上手くいくかどうかわからない。これ以上どうしようもなくて、理屈よりもがむしゃらに頑張らなきゃいけない時、ここが根性論が必要になる局面だ。
こういう最終局面では、根性論が結果を左右することが多いからだ。
敢えて負荷をかけなければ成長に繋がらない場合
スポーツする時とかそうなんだけど、上達するには敢えて負荷をかけなければならない時がある。
ここは敢えて根性論を出す時だ。そうしなければ上手くならないので、確信犯的に精神論者にならなければならない。
まとめ
労働環境がブラック化するのは、不必要な精神論を持ちこむからだ。これは要らない精神論。
プロジェクトを成功させるには、最終局面では気合いや根性が必要になる。これが、必要な精神論だ。
場合によって使い分けなければならない。