昔、矢沢のえーちゃんと長渕剛のライブに行った時、ある共通点に気づいた。それは男率がハンパなく高いことだ。
「女性はスーパースターがお嫌いなのか。」初めて気づいた。私の嫁もそうだ。ドライブ中に長渕剛の「とんぼ」を流し始めると顔色がどんどん曇っていく。そんなに長渕が嫌なのか…。嫁曰くアツくるしくて耐えられないらしい。
えーちゃんも長渕もスーパースターの割に、女ウケはすこぶる悪い。つまり、もてない。2人の共通点は突き抜けた存在という点だ。女ウケが悪い理由はこれかもしれない。女性は突き抜けた男が本能的に苦手らしい。
Contents
突き抜けるとはどういうことか
「モテたければ突き抜けましょう」という記事をたまに見かける。女性目線から書かれた記事で、女性は突き抜けた男性に魅力を感じるとのこと。じゃあ、その「突き抜ける」の定義はなんだろう。
女性にもてるための突き抜け方というのは、
- 能力が高くて仕事ができる割に、独自のスタイルを貫いてる人(奇抜なファッションとか)
- 周囲のひんしゅくを恐れず主張できる人
- 群れずに一匹狼な人
- めちゃくちゃ行動力がある人
こんな感じ。
おそらく「突き抜ける」を勘違いしている
確かに、もてるためには、そういった突き抜け方も必要なのだろう。しかし、もてるために突き抜けろと簡単にいうが、本当の意味で「突き抜ける」というのとは違う気がするのだ。
どう違うかというと、女性が求める「突き抜ける」は、あくまで表面上のファッション的な突き抜け方だ。「あの人のファッションは個性的」とか「誰も行かないからって、一人旅行行ったの?凄い行動力ね!」とか「堂々と自分の意見言えるのって素敵」とか。それで突き抜けたは少し違うのではないか。一人旅なら私だって散々してきたし、自分の意見も普通に言える。
同じ突き抜けるにしても、私が思うのとは少し違う。本当に突き抜けた人ってのは、そんな生ぬるいものではない。ひんしゅく買うにしても、ドン引きするほどのひんしゅくだ。個性的であるにしても、超がつくほどの個性だ。少なくとも女性ウケはしないと思う。
本当に突き抜ける、とはどんな感じか
本当に「突き抜けた」人というのは、メンタル面がぶっ飛んでる。ついでに考え方や行動もぶっ飛んでる。外見は関係ない。
「それをここで言いますか!?」とか「それを今ここでやりますか!?」という感じで、常識的に生きてる人たちをドン引きさせる。自分に絶対の自信もあるので、どんなに諫められても完全無視。メンタルも強靭だ。本当に「突き抜ける」ってのはこうだと考える。
男にはもてる
女性は安心感を求めるが、突き抜けてしまった男は安心感とは無縁だ。ある日突然バックパッカーになると家庭から飛び出る男もいる。女性ウケする時点で、突き抜けてるとは言わないのである。
しかし、女にはもてないかわりに男にはもてる傾向がある。わかりやすいのは下ネタ。ソフトな下ネタであれば女性ウケするが男にはウケない。一方、本気の下ネタは男は爆笑するが女は去る。これと全く同じだ。
濃過ぎると女性は去っていく。
もてたければ突き抜けてはだめ
勘違いしやすい点だから強調しておくが、もてたければ完全に突き抜けたらだめだ。完全にというのがミソで、ほどほどに個性的なほうが女性にはウケやすい。
かといって突き抜けてなさすぎもだめ。それはただ単に没個性的なだけで、つまらない人だと判断される。
その前に、オトナなタイプであるべきだろう。そのほうが安心感がある。オトナなタイプには女性はついていきやすいのだ。相手が求めていることを上手く与えられる人がモテるのだ。ビジネスと同じだ。
突き抜けるということは反社会的であるのと紙一重なので、女性からすれば警戒心が先に立ってしまう。女性は安定を求めるものだ。公務員の既婚率が高い理由は、おそらくコレだろう。
優しさも大事なポイントだ。それぞれ性格によるので断言はできないけど、中途半端なほうが優しい気がする。なんとなく。
突き抜けてる人は、もてるのは諦めたほうがよさそうだ
突き抜けた人たちは、モテることは諦めたほうがいい。自分を変えるなんてのも、しないほうがいい。無理はだめだ。それに、もう突き抜けてるんだから、今更自分をカスタマイズするなんて到底無理なはず。
そんな器用なマネなどできないし、やりたくもないだろう。コロコロ変われるのは中途半端な人だけだ。突き抜けた人には生き方を変えることなんてできない。
でも落ち込む必要はない。女にはモテないかわりに、価値観を同じくするコアなファンは一定数いるのだから。必ず。
私だって、突き抜けてる人のほうが大好きだ。器用に薄く生きてる奴らなんて面白くない。没個性的過ぎる人なんかに存在価値なんてないと考える。私のソウルを揺さぶるのは、やっぱり、突き抜けてる人しかない。