寒さを感じ始めるこの季節になると、「戦場のメリークリスマス」をよく聴く。
坂本龍一の古い名曲だ。映画タイトルそのままなので、ご存知の方も多いと思う。
映画自体は正直つまらない(というか気持ち悪い)が、この曲だけは印象的で、ふと頭をよぎることがよくある。
優しい旋律の中に、どこか想像を掻き立てるものがある。一度聞けば頭から離れない、クセになる名曲だ。
毎年クリスマスが近づく時期には、僕は半ば無意識にこの曲を流す。
基本陰キャラたる僕には、この「切なさ」がよくマッチしており、寒さが増してくる時期には、運転中のBGMとして流すのが毎年の恒例となっている。
つい先日のことだ。
夜も更け冷え込んできた中、まとまらない商談にイラつきながら会社のCX-5をかっ飛ばしていた。
疲れた心を癒そうと、いつものようにこの名曲をかけて運転していたところ、ふと不思議な感覚に襲われた。
「戦場のメリークリスマス」の響く車内。そして、あたりの景色。
この状況には、どこか覚えがある。懐かしい感覚がよみがえってきた。
デジャヴ
そこは前の職場への通勤経路だった。
そうだ。ちょうど去年の今頃も、同じ時間帯にこの道で車を走らせていたんだ。
その前の年も、前の前の年も、まさに今のこの時間帯・この道で車をかっ飛ばしていた。
今と同じく「戦場のメリークリスマス」を聴きながら。
当時はそれが当たり前で意識するほどでもなかったが、あの頃とは随分様変わりした今では、どうにも無視することができない。
当時の通勤経路を走っているのは全くの偶然である。そして、この偶然が懐かしさをよりかき立てた。
当時の出来事や「思い」・「あの頃の自分」といったものを次々と思い出す。
思い出すと同時に、捨てた過去と現在とのあまりの変わりように、僕は少なからず愕然としてしまった。
仕事環境から仕事内容、働き方に対する価値観やメンタル面、ライフスタイルに至るまで、当時の僕と今の僕とでは全く違う。
完全に別物だ。
にもかかわらず、当時と同じ環境で同じ曲をかけながら車を走らせている。
なんたるギャップか!
不思議な感覚に襲われた。心には何かグッとくるものがある。
思わずコンビニに停車して、しばらく物思いに耽ることにした。そのコンビニも、これまた当時よく立ち寄っていたセブンイレブンである。
よくよく考えると、前の職を捨てて以来、まだ半年も経っていないのだ。
楽しかったことや辛かったことなど当時の思い出が、ダムが堰を切ったように溢れてくる。
たった数ヶ月前のことが、何年も昔のことに思える。
生き方をごまかさないということ
改めて、当時と今の「違い」を見つめることで、一つ気づいたことがある。
人生というものは、自分が思い描いた通りに進んでいく。ということ。
進歩も成長もない現状に嫌気がさしていたあの頃の僕。当時は、進歩と成長を望める環境に身を置きたくて仕方がなかった。
そして僕は今、当時望んだ環境に身を置いている。
長年想像していたことが現実となった。
もちろん楽しいこともあれば苦しいこともある。
全てが満足いくようなものではないけど、今僕が思い描いていることも、将来には実現しているのだろうかとも思う。
点と点の繋がりは後になってわかるものだ。だから今は、自分を信じて進むしかない。
往々にして、人は人生をごまかそうとする。自分自身の人生にもかかわらずだ。
(オレには特別な目標や野望なんてないんだよ)と、「しがらみ」や「人の意見」を言い訳に諦めようとする。すでに出来る範囲内に収まろうとする。
本当はそれを望んでいるのに。
何故か?
自分を守るためだ。失敗と挫折を恐れているからだ。
別にそうした人生が悪いとは言わない。挑戦にはリスクと失敗がつきものなので、全ての人に勧めることはできない。
でも、心の中で思い描く「夢」にこそ、人生の意味があるのも事実である。
自分を信じ、恋い焦がれた夢に向かいまっすぐ突き進んで行く。
「夢を見る」をコケにする風潮があるけど、「夢」にこそ人生の意義があるんだよ。
さも「わかったような面」で否定してくる連中は多いけど、じゃあそいつらは人生のケツを拭いてくれるのか?
こう言ってやれ、
「他人のことはいい。てめーはてめーの心配してろ❗️」
自分の人生は自分で決めよう。
— 伴 (@patoriot82) 2018年11月8日
ああ!お前はなれる。
突き進んでさえいれば、いつかお前は「なりたい自分」になっているとも!
ってなことを、つらつらと考えていた。
懐かしい思い出の場所で、寒い夜風の中、ホットコーヒーをすすりながら。