「団体行動できない奴は社会人失格」てな風潮には、ほとほとウンザリさせられる。どうにかなりませんかね?
団体生活はタメにならないどころかデメリットのほうが大きい。僕はこう考えています。
それにしても、むやみやたらに団体行動を賞賛する輩の多さには危機感を覚える。
なので今回は、団体行動歴12年大ベテランの僕が、団体行動・集団生活に対するアンチテーゼをブチ上げようと思います。
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そもそも、団体行動や集団生活になじむことのメリットは?
驚くべきことに、新入社員研修の一環で「自衛隊での集団生活」まで取り入れる企業もある。日本社会には、とにかく団体行動や集団生活を重んじる風潮が根強い。もはや崇拝か。
彼ら曰く、団体生活は道徳のようなもので、馴染めればメリットがあるという。「どんなメリットか?」と聞いたところで、「精神が鍛えられる」とかスピリチュアルな回答ばかり。納得できない。
まずは、団体行動のメリットは何か?誰が得するのか?ここをハッキリさせねばならない。
組織側のメリット
団体生活のメリットが大きいのは雇う側だ。
規格に合わない不良品(出来の悪い従業員)をはじくには団体生活のふるいにかけるのが効率的だといわれている。規格に合う(集団になじめる)従業員のみを選別することができるからだ。
従業員を団体行動になじませれば、周りと歩調を合わせることも覚える。文句たれずに従順に働かせることができるのだ。
メリットはまだまだある。従業員の中にもハズレは出てくるものだが、団体行動を取り入れることで、ほっといても周りの従業員が同調圧力をかけてくれるのだ。雇い主自らが、わざわざ口出す必要がなくなる。
雇う側にとっては、団体行動や集団生活はメリットだらけだ。
じゃあ、僕らのメリットは?
僕らにとって、集団になじむメリットはあるのか。
あえて挙げるとすれば、「組織内での居心地が良くなる」くらいだろうか。確かに、団体生活になじめば円滑な人間関係は築けるようになる(組織内限定だけど)。空気を読むことを覚え、尖った部分を出せなくなり、周囲との軋轢もなくなる。どんな無茶な指示だろうが、従順に従えるようにもなり、結果、組織から可愛がられるというわけだ。
一応、これが僕らにとってのメリットらしい。が、果たしてこれをメリットとして良いのか、即答はできない。
苦手なものは苦手。なじめないものはなじめない。
当然、団体生活は人によって向き不向きがあるわけだが、苦手な人は苦手で終わり、なじめない人はなじめないままで終わる。克服などできるわけがない。
僕は団体行動のベテランだが、今だに、自分自身全く向いてないのがよくわかる。とことん馴染めない。
僕はかなり優秀なので、カメレオンのように場に合わせて対応を変えることができる。そうやって辛うじてやり過ごしてるだけだ。克服なんてしていない。
なじめないや苦手なタイプは、特に若い世代に多いのかもしれない。「ゆとり」だのなんだのと、オッさんからのディスられっぷりを見てもよくわかる。オッさん特有の「空気読む」的な規格に合わないのだろう。
合わなくて当然だ。育った時代も価値観も違うのだ。気合いでなんとかなった時代の人間と、スマホを使いこなす今の若者が意気投合するわけがない。
努力不足とか、そんな次元の話じゃなくて、合わないものは合わないのだ。
じゃあ、団体行動が苦手な人や、集団生活になじめない人はダメなのだろうか?いいや、僕はそうは思わない。
集団生活にはなじまなくていい理由
むしろ、集団行動になじんでならない、と僕は考える。その理由を3つばかり挙げていこう。
ここからが本題です。
なじんだところで給料は増えない
団体行動や集団生活になじんだところで給料増えないんですよ。
なじんだところで、上述のとおり組織内での居心地が良くなるだけだ。仕事力が上がるわけでもない。そもそも「なじめる」と「仕事ができる」は要素的に関係ないから。
なじんでなんぼの人って、おそらく人間関係の居心地の良さに酔ってるのだろう。賢明なみなさんならこう思うのではないでしょうか?「それに何の意味が?」
イエスマン化したりゴマするのも結構だが、1円の価値も生まないことを認識しましょう。
上手くなじむことや溶け込むことが、何ら仕事力に関係がないのであれば、居心地が悪かろうとも気にする必要はない。スキルを磨くことだけに集中する。それでいいのではないか。
大切な個性、消してもいいのか?
団体行動や集団生活になじめばなじむほど個性は消されていく。むしろ個性など消してしまえ的な雰囲気。これいつも感じてます。
大間違いだ。
個性を消したら終わりだ。個性には価値があるのだから。個性は自分にしかないゆえに希少性があるのだ。自分の中の希少価値をむざむざ消す理由はないはずだ。
集団に溶け込めば溶け込むほど、自分の希少価値は消されていく。これは集団生活最大のデメリットだ。あなたが想像する以上に危険なことだ。
団体行動=金にならない
団体生活すると個性という希少価値をなくすので、当然お金が寄ってこないわけだが、金から無縁になる理由はもう一つある。行動力がなくなるからだ。これがなきゃ決してお金は 稼げない。
団体生活にハマれば、その枠組みの中でしか生きられなくなる。つまり、行動力が削がれるのだ。
「貧乏人と関われば、貧乏人になる」は案外正しい。金に縁のない人たちとつるめば、当然自分も金に縁がなくなる。その理由は、枠組みから飛び出す行動力がなくなるからだ。
改めて周りの人をよく見るといい。団体生活になじむ奴に限って、行動力がなく金ももってないことに気づくはずだ。
最後に
僕の周りにも、集団に溶け込めずに悩んでる人は多い。特に若い連中は何とかなじもうと健気に奮闘している。
別に彼らに欠陥があるわけじゃない。団体行動が苦手なだけなのだ。組織になじめないだけで、一人一人観察すれば、意外なところに面白い個性を秘めてたりもする。
ところが、彼らは溶け込むためには個性を消さなければと考える。もったいない話だ。合わないものは合わないのだ。合わせる価値もないのだ。
団体行動や集団生活が無駄に賛美してるのは労働者だけだ。労働環境は今後10年で大きく変わるだろう。従来のサラリーマンや公務員では食えない時代が来ようとしている。
団体行動などこれから消滅していく価値観だ。近々消え去るものにこだわるほど愚かなことはない。