リアルからオンラインまで、これまで僕はいろんな「コミュニティ」に属してきました。
その成果はというと、ゼロ。べつに失くしたものはありませんが、得たものもないと。
うん、ゼロなんですよ。
積極的にに関われたのは最初の1ヶ月目だけで、徐々に興味が消え失せ、完全に幽霊部員と化すまで2ヶ月。
3月後には離脱完了と。
コミュニティをフル活用できるほど、僕自身が「社交的」でなく「厚かましく」もない、ってのもありますが、
そもそも人生をより良くするに、コミュニティに属する必要は全くない。と僕は考えます。
ってことで今回は、
何故、コミュニティからは何も得られないのか?
ってことを述べましょう。ではいきます。
「暖かさ」や「刺激」は与えられるものではない
コミュニティへの参加にあたり、皆さん、何らかの「繋がり」や「変化」を求めています。
・人間関係の暖かさが欲しい
・みんなと楽しくワイワイしたい
・刺激を受けたい
要するに皆さん、情緒的なものへの期待があってコミュニティに入るわけですが、
残念ながら、凡人の集まりにそんなものはありません。
まず、参加者のほとんどは「自分の承認欲求を満たす」ことしか興味がないのであります。
誰かと「繋がった」としても、それは世間話程度のやりとりくらい。そんな無意味なキャッチボールの、どこに「学び」や「気づき」があるのか。
ただ、「みんなと楽しくワイワイ」はできます。でも逆に教えてほしい。そこに何の意味があるのか?と。
刺激的なタイプも中にはいるでしょうが、彼らがアナタの人生に変化をもたらすか?といえば、答えはNO。
ポジティブな変化は自分で生み出すものです。他人のふんどしで変わろうとする時点でお門違いです。
「人脈」にすらならない
「人脈づくり」に期待する人も多いですね。
普段知り合えない他人とたくさん繋がることで、「チャンス=おこぼれ」が自分にもくるのではないか。
何か「貴重な情報」が得られるんじゃないかと。
コミュニティ参加者には、そうした思惑もあるわけですが、残念ながら、凡庸な方々の集まりに有益な情報が転がってるわけがなく。
得するのは「月謝」が入る主催者だけで、その参加者はただただ惰性で繋がり続けると。
参加者ってのは、参加してる時点で、いわば主催者の手のひらの上で転がされてるだけなんですね。
そんな状況でいくら励んだところで、たいした「人脈」もできないし「利」もありません。
コミュニティに浸かれば浸かるほど、アイデアや可能性が消えていく
最も(良くないな)と思うのは、ボスの価値観に染まってしまうという点です。
コミュニティに依存するというのは、その場の同調圧力に屈するということ。
知らず知らずのうちに、あなたはそこの価値観に沿ったことしか言わなくなります。言えなくなります。
わかりやすいのは会社組織で、職場の人たちとか、ほぼほぼ同じようなことしか言わないじゃないですか。
僕は公務員からサラリーマンへと渡り歩いてますが、「質問に対する解答が想像できる」という点では両者同じです。
ぶっ飛んだ思考に触れるなんて、ほぼほぼありません。(いや同僚に1人いるか)
(これは画期的な意見だ)と思い頑張って提案しても、小馬鹿にされて終いという。
いくらアイデアを示し、可能性を示したとしても、それがコミュニティ側の価値観に沿ったものでなければ、アホ扱いされて終了です。
職場に関してはこんな感じですが、趣味的な集まりだろうが、サロンだろうが、コミュニティである以上どこも似たり寄ったりですよ。ほぼ変わりません。
コミュニティに属する必要はない
たしかに常識は必要です。そしてコミュニティに入れば、そこでの常識を教えてくれるでしょう。
常識を無視し完全に逸れては、ただの痛い奴ですから、ある程度はそれに倣うのも必要です。
ある程度まではね。
そもそも他人の考える常識ってのは、そのほとんどが無益なものです。
つい先日、職場の同僚と飲んだ際、僕は柄にもなく様々な可能性について熱く語ってしまいました。
でも同僚が語ったのは、それが今の給料にどう影響するのか。ただこれだけ。
彼らは言う。
おまえの意見はクソだ。夢を見るなと。
…
せっくの心の声を、本心からの叫びを、人の意見でかき消すほどバカバカしいことはない。
他人のつくった常識内に止まっていては、いくら気張ったところで、周りに毛が生えた程度の成果しか得られないし、
他人のつくったコミュニティに依存していては、そこのメンバー以上の存在にはなれません。
コミュニティを捨て、自立した「個人」で生きたいと僕は思う。