「別れ」というものは、誰しも人生で幾度かは経験するものだ。それは人との別れもあり、場所との別れもあるだろう。
たとえば異動や部署の閉鎖により職場を去らねばならない時や、はたまた「退職」により組織そのものから去る時、それは人と場所に同時に別れを告げることを意味する。そうした時に、
「涙が出る」
というのは本当に幸せなことであると僕は考える。
去り際に「涙が出る」ということは、仕事・職場・仲間・客に対し、それまで如何に真摯に向き合ってきたかのあらわれだからだ。
かけがえのない大切なものだからこそ、それを失った時、なんとも言えない寂寥の念に襲われるのである。
それは仕事や人に対し、義務感を超えた『無償の愛』があったことの何よりの証明ではないか。
労働とは人生の大部分を投じねばならない、いわば人生の「十字架」だ。その「十字架」に対しポジティブでいられるかネガティブに向き合うかは、ダイレクトに「幸か不幸か」に直結する。
去り際に自然と涙が出る
それは今の仕事に「かけがえのない価値」を見出したということであり、言いかえれば、それは人生における最高の「幸福」ではないだろうか。
Contents
卒園式
3月は子どもにとっては卒業の季節。大人にとっては人事異動による別れの季節だ。
今日は娘の通う保育園の卒園式だった。
娘はまだ卒園する歳じゃないので、卒園式など僕には何も関係ない。とはいえヨメが役員してるため、我が家にとっては無関係ではない。
ヨメが風邪気味で行けなくなったため、僕が代行で行かされるハメになった。
(めんどくせぇ)
とはなかなか言えず、渋々スーツに着替え卒園式に向かう。
あくびしながら場内に入ると、来賓席には議員連中が座っていた。20人くらいいただろうか。町の活性化には役不足なジジババだ。
彼らのハナシはどうでもいい。(ゴタクはいいから、ふるさと納税のクソショボいお礼品をどうにかしろ)などと考えながら、もう一度デカいあくびをした。
が、卒園児たちのパフォーマンスが始まってからは一気に目が覚めた。
愛娘と顔見知りの子どもたちのハキハキしたパフォーマンス。みんなこんなに大きくなったのかと、これには、ある種の感動を覚えた。
他人の子とはいえ、乳飲み子の頃から知ってる子も多い。こんなにハッキリ話せるようになったとはね!と、うちの子もこうなんのね!と、成長から来るパフォーマンスには驚かされたものだ。
保育園の先生
さらに驚かされたのは先生方のスピーチ。心の中で長らく消え去っていた「ある感情」を呼び覚まされる。それほどに、先生たちのスピーチは印象的だった。
壇上で話したのは4人。人事異動で去る先生、一身上の都合(妊活)で退職する先生、卒園児クラスの担任及び副担である。
園を去る先生たちと、園児を送り出す先生たち。
みんな泣いている。とある先生は鼻水垂らしながらの号泣だ。
立場は違えど彼女らのスピーチに共通しているのは、「寂しさ」や「名残惜しさ」が溢れ出ていたということ。
(この思い出深い保育園から離れたくない)
(1年間、毎日みてきた園児たちから離れるのが名残惜しい)
そのあまりにエモーショナルなスピーチには、無関心な聞き手をも振り向かせるほどのパワーがあった。そのパワーが会場全体を感動の渦に巻き込み、僕を含め聴衆を圧倒した。
日々真剣に「保育」に携わってきた者にしか発し得ない、実に素晴らしいスピーチである。先生方は口にこそ出さないが、「保育園は決してホワイトな職場ではない」というのはなんとなくわかっていた。
パフォーマンスの裏側にある「労力」が見えない者は頭が悪い。「園児のしつけ」から「頭の悪いクソ親への対応」まで、なかなかにハードであるのは、見ればすぐにわかるものだ。
1日が終わる頃には、先生たちはヘトヘトに疲れきっていることだろう。
そんなハードな仕事にもかかわらず、「もっとみんなといたかった」と涙ながらに語る先生たち。
その原動力となっているのは、職場と園児たちに対する仕事を超えた「無償の愛」か。
我が身を振り返って思うこと
泣いてもいい。泣く資格は十分にある。
が、同時に彼女たちは喜ぶべきである。
去り際に泣けるほどの「価値」を仕事に、それほどの「彩り」を自分の人生にもたせることができたのだから。それは本当に幸せなことである。
その場で、ふと考えた。
(…オレは、去り際=退職時に泣けるだろうか?)
ありえない。
泣かないだけならまだいい。最悪、その場で爆笑してしまうかもしれない。
長年苦しめられてきた持病を根治できたかの如く「せいせい」して終わりだ。開放感とメシウマ感がオレを爆笑の渦へと導く。
絶対に、そうなる。
仕事が人生に彩りを与える?
一体、どこのハナシだ?
クソ組織でのブラック労働は、肥溜めに投げ込まれ頭を押さえつけられるようなもの。糞の海から這い出んとするに、一体何の未練があるというのか。
・安月給にもかかわらず、アホみたいな業務量と責任まみれのブラック労働
・見た目もショボくアホなくせに己を優秀と思い込む、童貞臭漂うクソ生意気な若造
・ブラック社会の元凶ともいうべき、現代版「神風特攻隊」
・パワハラしか取り柄のないアホ部長
これらが寄ってたかってオレの業務を増やし・妨害し・気分を害し・殺意を抱かせる。
こいつらを埋めるに、一体何のためらいがあろうか。
もし手元に小型の核があれば、それを落とすに「爆将軍」並み⤵︎に一切の躊躇はない。

壇上の先生たちをみていると、真逆な自分が惨めに思えてならなかった。
PS .保育園を去る先生方、貴女たちには本当にお世話になりました。願わくば、あなた方の幸福が今後もずっと続かんことを。