郷愁を感じる時ってどんな時だろうか。
こんにちは、伴です。
今回は、私自身の記憶を探る話を少し。
『郷愁』とは、たまに目にしたり耳にする言葉だ。
郷愁とは、異国の地において故郷を懐かしく想う心情を指す言葉。
なるほど、故郷を遠く離れた私にとってはわからなくもない言葉だ。
確かに、純粋だった子供の頃の記憶をたどるのは感慨深いものがあるかな。
しかし、この郷愁という言葉、何も故郷だけに限定して使われるものじゃないと思う。
思い入れのある記憶。
その記憶の背景にある土地。
別に故郷でなくとも、思い入れのある場所であれば郷愁の想いを抱いても不思議じゃない。
たとえば、学生時代の古き良き思い出の地であるとか。
たった一度しか訪れたことのない異国の地であっても。
それが強烈な印象として本人の心に残ってるならば、
その記憶はふとした瞬間、なんらかの拍子に、脳内によみがえることがある。
そして、今の現実を忘れさせるほどの懐かしい感覚に陥る。
それは、人生の大切な思い出である証拠だ。
そんな思い出があるということは、濃く生きた証なんだと思う。
たとえ、その思い出の詰まった場所が故郷とは縁もゆかりもないとしても、それはまぎれもなく『郷愁』に間違いない。
しかし、私は基本的に過去を振り返ることなどあまりない。常に長期的な将来を見据えるほうが圧倒的に多い。
そんな自分を、まだまだ若い証拠だと再認識しながらも、
不意を打たれるかのように『郷愁』の想いに覆われる時がある。
老けたのか?
いいや、たぶんそうじゃない。
人というものは、無意識のうちに自分のルーツを確認する時があるんじゃないのか。
感受性の強い人は特にそうだろう。
それは、無意識の中での心の浄化なのかもしれない。
特に、心が荒んでいる時の自浄作用なのかもしれない。
じゃあ、郷愁の念がドバッと溢れる時ってどんな時だろうか?
人それぞれだろうが、
音楽を聴くと、当時の思い出が鮮烈によみがえる。
当時よく聴いていた音楽を、ふいに耳にしてしまうと、不意を打たれたかのように懐かしさがこみ上げてくる。
学生時代も強烈だったが、より印象深いのは働き始めた頃だ。
それは社会人として初めて飛ばされた場所。
金沢だ。
金沢には、たったの2年間しかいなかった。
短い期間だった。
しかし、思い出すたびに郷愁の念を抱く場所は、金沢以外にはない。
住んでた当時の、
底抜けに楽しく、
崩壊前夜のように不安定極まりなく、
自堕落で、
不道徳で、
頽廃的で、
破滅的な、
当時の記憶がよみがえってくる。
金沢は、凄く魅力的な街だ。
一歩踏み入れば、他の街とは趣が違うことに気づくはずだ。
戦火を逃れたため、古い建物がそのまま残っている。
かといって、さびれているわけじゃない。
むしろ、古いものこそキチンと整備され、独自の文化として活かされている。
そして新しいものと見事に融合している。
古いものを古臭く感じさせないのが金沢の不思議な魅力なのだ。
観光地の中には、キレイな景観は観光地周辺だけ、なんて場所が多い。
金沢の良さは、住宅街も含めた市全体の景観がキレイ。整備が隅々まで行き届き、街全体に清潔感があるところだろう。
当時の私は社会人一年生とはいえ、それでも学生時代とは経済力は段違い。
今現在の酒の知識も嗜好も全て金沢時代に身についたものだ。
当時の私は、学生時代からの延長で酒に溺れていた。
仕事仲間との健全なお遊びなんて退屈過ぎて見向きもしなかった。
とりあえず、酒。
クラブやバーで浴びるように飲み倒し、バカ騒ぎに疲れたらオーセンティックバーへ直行。
少し休憩したらまた居酒屋で明け方まで飲み倒すという、
まさに酒で身を持ち崩す寸前の生活を送っていた。
平日ですら晩飯などロクに食った記憶はない。
飲んだくれた2年間といっても言い過ぎじゃなかった。
そんな風に自堕落な生活態度が板に着くと、
似たような女との出会いも多く、
刹那的で本能の赴くまま、何の生産性もない関係を繰り返していた。
水商売や売春稼業の女も多かった。
今が楽しければ他は何もいらん。
当時の私の一貫した哲学がコレだった。
金のために仕事だけはかろうじて続けていたが、生活態度の荒廃ぶりは仕事仲間の中でも際立っていただろう。
当時、二人の友達がいた。
二人とも、私と同じように破滅的生活態度で人生を楽しんでいた。
『たっつぁん』と『かよちゃん』
『たっつぁん』は私よりも酒量は多く、ド派手なほど堕落していた。
1週間のうち、最低3日は『たっつぁん』と飲み倒していたものだ。
金が尽きればお互い融通し合いながら飲み倒していた。
彼の仕事も水商売で、ビジネス・プライベート関係なく常に酒に溺れる猛者だった。
男前を活かした異性関係の堕落ぶりも規格外だった。
この男のもつ不思議な魅力は、私に持ちえないものばかり。
たっつぁんの方も、自分にない特質を私が持っているのを感じていた。
はたから見ればクズどもにしか見えていなかっただろうが、お互いがお互いを尊敬したイイ仲だったと思う。
『かよちゃん』は当時20代半ば。
何の仕事をしてるのかは最後までよくわからなかった。
酒は飲むが、私やたっつぁんほどではない。
この子は、私の中での『理想の女性像』をことごとく叩き潰してくれた女だった。
道徳観念が見事に欠落していた。
誰とでも寝る子であり、『私』や『たっつぁん』でもいつでもWelcomだと公言するほどだった。
とりあえず、普通の真面目な日本的価値観に縛られた人ならば、卒倒するような価値観をもっていた。
「人生詰んでるんじゃないか…」
自分のことを棚に上げて、心の中で私は心配していた記憶がある。
それでもツルんで飲み歩いていたのは、
終わってるけど正直に生きてる彼女といると、たまらない安心感と不思議な居心地の良さがあったからだろう。
あれから10年経ってしまった。
あれほど仲の良かった二人の友達。
お互い、パタリと連絡しなくなって何年経つんだろう。
風の噂で伝え聞くところによると、
『たっつぁん』は昼間の仕事を始めたらしい。
結婚もしたそうだ。
当時の我々からすれば、信じられないことだろう。
『かよちゃん』は、どこで何をしてるか、全くわからない。
風の噂さえも聞こえてこない。
堕落してはいたが聡明だったので、絶対に破滅なんてしていないと思う。
むしろ、ひょっとすると、どこかで成功しているのかも。
まぁ、パタリと連絡しなくなったのも彼女らしいといえば彼女らしい。
二人とも、今後、連絡し合うことはもうないのかもしれない。
3人とも変わってしまったんだろう。
あの頃の繋がっていた理由は、価値観が一致していたからだ。
10年の間に価値観なんて変わるもんだ。
むしろ、全く変わらないほうがおかしい。
この前、たまたま、アヴリル・ラヴィーンの『Complicated』が耳に入ってきた。
名盤すぎて有名なアルバムで、当時の私は腐るほど聴いてた。
この曲を聴いてしまうと、あの当時のことしか思い浮かばない。
これからも、このアルバムの曲が耳に入ってくるたびに、
あの当時の濃い思い出に襲われ、
自分の過去と今のギャップに驚きつつ、
数分間、物思いに沈んでしまう。
これから何度もあることだろう。