最近Twitterアカウントを削除しました。「伴」というアカウント名で、約5年間ほぼ毎日つぶやいてきた、非常に思い入れのあるアカウントです。
閉鎖する前、立ち上げ初期から自分のツイートを辿りました。我ながら、薄汚いツイートから良いツイート、くだらない呟きが百花繚乱です。
とはいえ、昔と今とでは雰囲気が随分違ってましたね。
価値観自体があの頃と今とでは変わってきているのでしょう。それはまるで5年間の自分の足跡を辿っているような感覚でした。
思い入れのあるアカウントです
なぜわざわざ閉鎖したのか。今回はその理由を綴っておこうと思います。
思うように語れなくなった
ここ最近、価値観が随分変わったように思います。これまで堂々と発信してきたものが、今では言えない。
環境の変化と様々な経験が重なってきたせいか、従来の自分のコンセプトに疑問を抱くようになってきました。
もちろん別人になったわけではないので、変えられない部分も多々あります。
が、変えなきゃいけない部分が、たくさん見えるようになってきました。
要は、ブレてきた
伴アカウントこそ、これまでの集大成であり、従来の自分の価値観・意見を正直に思いっきり書き殴ってきたものです。
ツイッターの平均フォロワー数は600らしいですが、5年も毎日ツイートしてればフォロワー数も平均を大幅に上回っておりました。
僕を支持してくれる方、嫌う方とたくさんいましたね。
まぁブレたらブレたでブレたで、ブレたまま発信するのもアリでしょう。それも人の自由です。
が、それには僕はもの凄い抵抗がある。過去の自分の発言をさておき、違うものを発信することはできません。
SNSはストレスが溜まる
閉鎖の理由はもう一つ。頻繁にタイムラインを眺める自分が嫌になったからです。
事あるごとにTwitterアプリを開き、他人のツイートを見ながら頻繁に何かを判断している。この行為があまり良いものではないことに気づいたからです。
はっきりいって、時間と労力の無駄。
意思決定する事が多ければ多いほど、人はストレスを抱えます。
SNSやメールから他人の意見を受け取ると、人はどうしても何かを感じてしまいます。考えてしまう。
それは感動的なものや気づきを与えてくれるものばかりとは限らず、とても受け入れられない意見、ゴミのような自慢話やリア充姿を目にすることのほうが多いです。
妙にザワザワしてしまう。
自分も同じことをしていたのかと思うと、自分に吐き気がします。
特にクソリプが飛んでこようものなら、あまりに酷いものにはやり返したりと、心中穏やかではいられない。
いろんな意味での「意思決定」が、そこにはあるのです。SNSにハマると。
「意思決定」が増えれば増えるほど、時間と労力が奪われストレスが増えます。
となれば、その日に最もやらなきゃならない事を下手をすれば疎かにしてしまう。
日々のルーチンにSNSは要らない
僕は現在、生活の大部分を「ルーチン化」することに努めています。
それは、意思決定を極力減らすため。
行き当たりばったりの従来のやり方では、脳に負担をかけるばかりで、生産性が著しく低くなってしまう。ストレスも溜まります。
現在、週間スケジュールを早い段階で打ち立て、無駄を省き、やるべきことだけを時間単位で細かく管理しています。自分のルーチン化に組み込んでいます。
そして週の終わりには、今週の成果が出たこと・ダメだったことを振り返ります。
上手くいったことは続ければいい。ダメだった部分は別プランを打ち立て、再度、翌週のスケジュールに組み込みます。
あとは考えない
ルーチンに従うだけ。
週末には、ダメだった点を見直し改善するプランを練る。そうすれば徐々に、「ルーチン」がより質の高いものに変わっていきます。
余計なストレスはかからない。
そこにSNSは特に必要ないかなと。
特に、伴アカウントでの僕はツイ廃そのものであったため、それが自分への弊害となっていることに気づきました。
…
とはいえ、伴アカウントでは素晴らしい人との出会いもあり、僕にとっては楽しいことも多かったように思います。
これまで仲良くしてくださった方、本当にありがとうございました。