こんにちは、伴です。
〜 入魂の思いを込めて紡ぎます 〜
会社や組織に属してると、たとえ嫌でも組織の風習には従わないといけない時があります。
例えば、朝礼の強制とか。
社長とかお偉方のスピーチへの強制出席とか。
学生であれば、卒業式の予行を何日もやらされたりとか。
意味がないとは思うんですが、これはもはや伝統化した儀式となっているため、組織側もハイそうですかと廃止するわけがないのです。
じゃあ、その儀式をする意味って何だろうか?
こういった質問を投げかけたとしても、心底納得できるような説明が返ってくることはありません。
儀式だから。
規則だから。
決まりだから。
そんなくだらない理由で、大人しく従うべきと同調圧力がかかるのが関の山でしょう。
たとえ20分かそこらの短時間だとしても、その不毛な時間を有効活用すれば、年間を通せば一体どれほどのコトか為せるのか…。
実にもったいないハナシだ。
つくづく思うんですが、
この国の人間は、合理性を超越した、いわば
『気合い』
だけで生きてる気がする。
さらに、
そんな儀式の中でも、説教なのか、世間話なのか、一体何なのかよくわからないものがあります。
挨拶? スピーチ?
これ、必ず出てきますね。 例えば、
『仕事に取り組む姿勢とは!』
『マンネリ化を防ぐには!』
『心構えとは!』
こんな感じの、聞き手を完全無視した自己満足のためのスピーチ…。
私の組織もメッチャありますよ(^_^)v
その際によく引き合いに出されるのが、
「ことわざ」であったり「格言」であったりするわけです。
まぁ、スピーチ自体は聞き流しとけばいいんですけど、
そのスピーチの中で「格言」を持ち出し、意気揚々とドヤ顔で語るオジサン達の姿。
コレ、見逃せないポイントなのです。
「格言」や「ことわざ」への対処法
「ことわざ」や「格言」といった類は役に立たないのです。
果たして救われた人っているんだろうか?
少なくとも私の周りでは見たことはありません。
前回は、良質なブログやコラムで発信される文字や文章のもつ威力について書きました。
今回は、同じ文字や文章でも役に立たないものもあるってことを書きます。
何故、「ことわざ」や「格言」が役に立たないのか。
これは少し考えてみればわかることです。
反対に、
何故、社会において「ことわざ」や「格言」が広く受け入れられているのか?
を考えてみればいい。
考えられる理由としては、
簡単に言えば、聞こえ(言葉の響き)の良いキレイごとだから。
日本人はタテマエやキレイごとが大好きなのです。
「ことわざ」って、過去の事例から普遍性のあるキレイな部分だけを切り取ったものなんですよね。
だから日常のあらゆるシーンにも当てはめやすい。
だから説得力があると勘違いされやすい、否、させやすい。
そして「格言」って、過去に偉業を成し遂げた人がたまたま口にした言葉の中から、自分達に都合の良い部分を勝手に抜き出しただけ。
おまけに、語った本人の意向など無視しとるし(死人に口なし)。
個人的に最悪だなぁと思うのが、比較的最近の人の
「格言集」 「詩集」
といったもの。
例えば、
・某宗教団体のトップ。
・詩人や書家という肩書きをもつ人。
この人たちが発信する言葉は、明らかに商業的なウケを狙ってます。
彼らの言葉は、血が通っていないただのキレイごとであり、当たり前のショボい内容に神のお告げのような風格をもたせているだけなのです。
誰にでもどんな時にでも当てはまるような美辞麗句なんて、ハッキリ言って全く価値がありません。
夢の中だけで生きてる人たちには有難いでしょうが、私たちが知りたい事はこの世の真実のはず。
「格言」「ことわざ」「詩」などというものは一般社会では重宝されていますが、私から見れば有害図書に指定されても良いくらいの内容なのです。
そんな「格言」や「ことわざ」をわざわざスピーチの中に入れるなんて、自分が薄っぺらい人間なんだと自白するに等しい行為です。
ウザいだけで誰からの尊敬も得られないわけだ。
一例を挙げれば、
『二兎を追う者は一兎をも得ず』
ということわざ。
この超有名なことわざの本質的な意味を考えてみます。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』
欲をかいて、違った2つのことを同時にやろうとすれば、結局どちらも成功しない。
知らない人はいないほど有名な言葉です。
今取り組んでることに一点集中しないと、どちらも中途半端で終わってしまう。
らしい…
いや、コレ本当だろうか?
まぁ、ことわざでワザワザ言われなくとも、今の日本人ってほとんどが一兎しか追ってないわけですが…。
じゃあ、その一兎を追い続けてる日本人の中で、大成してる人ってどれ程いるんでしょうか?
ほとんどいないのでは?
社畜一筋・公僕一筋 何十年ってな人ばかりで、大した人生送ってるとは思えない。
一方で、
例えば大会などで活躍する海外の一流アスリート達の中には、医者を兼務してる人たちだっています。
『厚切りジェイソン』のように、IT企業の役員しながら芸人やってる人だっています。
日本人でいえば、元プロサッカー選手『中田英寿』は現役時代に簿記検定1級を取得してるし、今では『(株)サニーサイドアップ』の大株主でありながらも、その他様々な活動をしておられます。
どちらの方が価値ある人生か、言わずともお分かりでしょう。
「いやいや、私は堅実な収入で家族を飢えさせた覚えはない。どこが無価値なのか!?」
仰る気持ちはよくわかりますが、今はそんな次元の話をしてるのではありません。
もう一度ハッキリ言います。
どちらが輝いているのか。
一目瞭然なのです。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』
は全くのデマ。
『二兎すらも追えない者は一兎をも得ず』
が正解。
人間の能力を、たった1つに限定すべきではないのです。
仕事が上手くいかない人は、たまたま今の仕事が合っていないだけなのかもしれない。
もし他の分野なら、凄い才能を発揮するかもしれない。
「ことわざ」の本質的な意味とは、人間のもつ可能性を潰すことにあるのかもしれない。
私たちから自由な思考を奪い去り、従順な労働者でいさせるために。