こんにちわ、ファイナンシャルブロガー伴です。
先日、かなり久しぶりに日本の映画を見たんですわ。純粋にオモロいと思ったのでここで紹介したい。
『信長協奏曲』
この映画版は、2014年に放映されてたドラマ版の続編だ。なので、ドラマを見てない人にはイマイチ入り辛いかもしれない。
最初に、ドラマ版のさわりだけ簡単に説明するよ(ネタバレではありません)。
サブローという青年が戦国時代にタイムスリップしてしまうんだけど、そこで初めて出会うのが織田信長。
サブローと織田信長は全く同じ顔をしていた。
信長は、自分と全く同じ顔のサブローを見て凄く驚くんだけど、驚くと同時にあることを思いつく。
『入れ替わり』
信長として大役(大役といえど当時は桶狭間前のヒヨッコ)を、サブローに任せるってことだ。
信長本人は、織田信長として生きる事に嫌気がさしていたのが理由だ。
そうして、サブローは信長の要請に従い、織田信長として覇道を歩むことになる。
信長本人はというと、覆面を被り明智光秀と名乗りサブローの配下で生きていく。
物語の入りとしては、こんな感じだ。
実に面白いドラマなんで、見てない人には是非オススメします。
そして、映画版の舞台は《本能寺の変》だ。
そう、明智が奇襲をかけて信長を殺してしまう、あの本能寺だ。
サブローと信長の駆け引き、同じ顔同士、一体どうなるのか?
見てみたくならないか?
ちなみに、BGMも最高だ。
センス良すぎでしょ。
物語の構成も非常に良く練られている。
歴史通りにトレースすることを念頭に置いたストーリー構成なので、あまり史実から逸脱し過ぎないよう注意が払われているのが伝わってくる。
矛盾点があまりないのだ。(あえて言うならば、本能寺の変の信長にしては若すぎない?)
「この場面、歴史じゃこうなるけど、一体どういう展開でしのぐか?」
って疑問に、
「えっ!? そうくるん!? うん確かに、そうくれば歴史的にも矛盾はないよね。」
ってな感じで、こちらを飽きさせない工夫が随所に凝らされている。
見てみたくなるだろう?
ドラマの続編の映画版ってショボ過ぎてコケるものが多いけど、『信長協奏曲』はドラマの続編に相応しい、良く出来た映画だと思う。
ただ一つ、残念な点を除いて。
ウェットな人種とドライな人種
普段はアメリカ映画ばかり見てて、日本のドラマも映画もほとんど見ないので、たまにこうして日本の映画やドラマを見ると思うことがある。
日本のドラマや映画はウェットだ。
これは別に日本だけじゃない。中国や韓国をはじめアジアのドラマや映画を見てても、似たようなウェット感をよく感じる。
どんな風にウェットか?っていうと、
なんとか視聴者を感動させようと必死。
恋愛にしろ人間ドラマにしろ、お涙頂戴的なストーリー構成が多い。
《信長協奏曲》にしてもそうだ。
とにかく視聴者を感動の渦に飲み込み、泣かせようと必死なのだ。
それが別に悪いとは言わないし、アジアにおいてはこういうのが商業的にはウケるのだろう。
それはわかるが、あまりにクド過ぎると視聴者側としてはウザくなるんだよな。
韓国ドラマなんて特にそうだろう?
まぁ、そこんところが韓国ドラマの面白さなのかもしれないけどね。
一方で、アメリカ映画はどうだろう?
やたらとヒーロー物やアクション物が多いと感じるのは私だけじゃないはず。
アメリカンシネマにだって、恋愛系やヒューマンドラマ系のウェットな映画ももちろん一つのジャンルとしてあるにはあるが、全体の割合でいえば少ない気がする。
大半の映画は、大砲ぶっ放してるイメージ?
アジア映画じゃ恋愛の過程を回りくどく描いてるけど、アメリカ映画じゃ、んなもんスッ飛ばしていきなり◯◯◯◯シーン突入、とかね。
日本人から見れば欧米人はドライに映るってよく言うけど、それは映画などのコンテンツを見てもよくわかるよね。
アジア人は感動を求めるけど、欧米人はカーチェイスや銃撃戦、ヒーロー的なるモノを求める。
映画というコンテンツ一つにしても、人種間の気質の違いがとてもよく出ているのだ。
そう意味では、ディズニーの《ベイマックス》は、商業的に良く練られたアニメだと思う。
主人公の兄貴やベイマックスに対する思いなどは、もろにアジア人ウケを狙えるものだろう。
一方で、主人公や仲間がヒーロー化していくのなんて、もろに欧米人好みだと思う。
両方からのウケを狙いつつ、全体として面白くまとめられたアニメ映画だ。
ドライな方がいろんな意味で強いのかも?
ウェットかドライか、どちらが良いか悪いかなんてハナシじゃない。どちらも良くて、どちらも悪いところもあるだろう。
ただ、どちらが強いかって意味では、ドライな側に軍配が上がるだろう。
ドライってことは、言い換えれば、合理的ってことだ。
ウェットってのは、感情を優先させるため非合理的になりがち。
いくら非合理的な行動で気張ったとしても、決して合理的な行動には敵わない。
物事の本質や術理を抑えているのは合理的な側だからね。
太平洋戦争とか、そこんところがよく表れてる好例だよね。
日本軍は愛国心を振りかざし、戦略など無視して気合いだけで戦っていたけど、
「マンハッタン計画」でもわかるように、米国側はその後の世界の覇権の掌握まで考えて、とても戦略的な軍事行動をしていた。
結果は、皆さん知っての通りだ。
ビジネスにしてもそうだ。
日本型のビジネス形態は、ウェット感満載の非合理的なモノ。
一方で、欧米型ビジネスはドライ感極まる合理の化身。
どちらが儲かっているか、皆まで言わずともおわかりダロウ?
感情むき出しでウェットに偏り過ぎてもただの寒いアホ、ってことだ。
かといって、感情を排除しドライ過ぎるというのも考えものだ。
アメリカが、中東をはじめいろんな国や人種から憎まれてるのを見ても、ね。
何事も極端は良くないってことかな。