「社内政治」が出来るのも実力のうちなのは認めよう。
政治が出来る・出来ないでは、社内における評価がまるで違うから。「頑張る」や「能力」では埋められないサラリーマンの差が、まさにコレである。
俗人的な要素から能力値まで、全てをひっくるめての総合力が、その人の実力だと僕は考える。
残念ながら、伴という人間には、この「社内政治」の才能は皆無だ。
いや政治どころか、「社内での人間関係を構築する」センスすら欠けているという、我ながら笑うしかない状況である。
「円滑」にしようと、一応努力はしているが、それ以上はどうにも無理。
とはいえ、サラリーマン社会ではこのへん達者な人が結構いており、彼らは上司や内勤の女性相手に愛想をまくことができる。
クールな話術で、相手の心を自在に掴むことができる。
それに踊らされキャーキャー集まる雌ブタ職員、関係上司と同僚連中。
この手のシーンに立ち会うたび、僕は一人取り残されたような感覚に陥る。
居場所を取り上げられたような、変にソワソワして居心地の悪いあの感覚だ。周囲からは無いもの扱いされてるような、苦々しいアレだよアレ。
虫酸が走る
書いてる今も吐きそうだ。
社内政治できないタイプ
今の会社、仕事面はそれほど悪くはないが人はクソである。
男はカッコつけの気取り屋が多く、女はやたらお高くとまっている。もちろん、全員がそうではないが、とりあえず誰とも話が合わない。
一方、僕は常に誰に対しても真正面から本音でぶつかるタイプで、クールな彼らとは完全に真逆だ。
それが気取り屋連中の目にはクソダサいものと映るようで、最初は快く接してくれた人たちも、徐々にフェードアウトしていった。
僕のほうも、そんな相手さんには興味が消えており、今やどうでもいいと。
なんで、いつもこうなる?
なぜ、僕は彼らと同じように振舞えないのか。合わせられないのか?
と真剣に考えてみたところ、それはやはり僕の「育ち」と「遺伝」に原因があるのではないか、と思うに至った。
僕は四国の片田舎の生まれだ。
高校卒業まで田舎を徘徊しており、おまけに大学も地方のど田舎であると。
要はサル
素朴で不器用な「山猿」だ。
親父はバリバリ職人気質の技術者で、母親は筋金入りの農家の生まれとくれば、遺伝的にも、どうにも垢抜けようがないわけで。
ちなみに、母方のじいちゃん(故人)はかつて、畑・田んぼ・山2つを所有しており、子供の頃は「しいたけ栽培」に駆り出されたものだ。
都内で育った人や、大阪の商人気質の家庭で育った連中とは、根本的に「人種」が違うのである。
山猿がいくら取り繕うと背伸びしようと、彼ら都会育ちのようには絶対になれない。
クールに振る舞うことはできないし、そこに近づけもしないと思う。
「育った環境」と「遺伝的な要素」
この2点を塗り替えるのは、まず不可能だ。
与えられた武器で今を戦え
というように、社内における僕の人物評価は低い(と思われる)わけだが、実は、
あまり気にしてない。ネタとして書いてるだけだ。
そもそもここで長く勤めようとは思っていないし、何より、革新性のない今の経営とここまで閉鎖的な社風じゃ、先細り確定だし。
はっきり言うが、僕個人のクライアントが拡がれば、ここに用はない。
だから、社内の人間関係どーでもいいんである。
とはいえ、社内の連中に多少の嫉妬があるのは確かだ。現に胸糞悪い時も多々あるよ。
だからといって、彼らのようになりたいとは思わないし、劣等感なんてカケラもない。
言っておくが、社内での人気投票とクライアントからの評価は全くの別物だ。
そして、彼らに有って僕に無いものよりも、彼らに無く僕に有るものの方が圧倒的に多いのは、僕自身よく知っている。
社会性が高いだけの、つまらん連中だ。
常に物事の表面部分しか見ておらず、裏側にある本質部分には全く気づかない。いや気づかないところか、都合の悪い情報はシャットアウト。
アホだ。
アホだから、自分の無知に気づかない。
それを知ろうと学ばない。勉強しない。
そして、挑まない。
紳士を気取りたきゃ、死ぬまでやればいいと思う。お高くとまった女は、そのまま生きていけ。
行き着く先は、過去のプライドにしがみつくだけの、何の価値もない哀れな年寄りだ。