夫婦喧嘩でよくあるのは、「仕事で疲れたを言い訳にするな」あたりですかね。
(寝とらんで家事手伝ってくれや)
怒り狂うのは大概女性側と。
夫婦共働きであれば尚更でしょう。「私だって働いてんだから!」との大義名分を与えてしまっているため、言われる側は泣き寝入りの防戦一方。
非常に辛いところであります。
仕事だ疲れたを言い訳にするな
最強の殺し文句ですな。
とはいえ、そうかましたくなるのもわからんではありません。
女性とて働くのが当たり前の風潮を鑑みれば、家庭上の労力は男女公平に分担されて然るべきです。
人生を共に歩むパートナーであれば尚更で、そうした相互理解がなければ一緒に暮らすことなどできません。
どうしても理解できないのであれば、一人で生きた方が幸福度は高いと思います。
と、ここまでは単なる一般論ですが、これに対する僕の見解は少々違っておりまして、
「何をもって公平とするか」
ここの相互理解が肝だと思っております。
ではいきます。
パラメータの振り幅が違う
まず、男性と女性では仕事(稼ぐこと)に対する意識が違います。
もちろん仕事への意識が非常に高い女性の方はいますが、多数派ではありませんし一般的ではないでしょう。
そもそも男性の役割というのは「狩り=奪う」ことです。そして女性の役割というのは「後方を保守・管理する」こと。
フェミニストから批判くらいそうですが、遥か太古の昔から、人類はこの原理原則に従い子孫を残してきたのは、揺るぎのない事実であります。
農業革命の後、男性の仕事の一部は「狩る」「奪う」から「耕す=生産する」にシフトはしましたが、
肝はやはり、他人が保有する肥沃な農地を「奪う」 、あるいは「 死守する」ことにありました。
とにかく富・食材を持ち帰り家族と自分を養う。
奪う側・死守する側ともに、この「正義」に従い行動していたというわけです。
そして、これこそが石器時代からDNAレベルで刻まれた男性の役割であり、男の人生そのものであります。
例外があるとすれば、そう、公務員だけ。
一方、女性の基本的役割は家庭に入り後方を守ることです。そこには当然ながら家事や子育てが含まれ、これも太古の昔から変わっていません。
現代においても、ここは男女とも一切ブレておらず、男性の役割はやはり「狩る」こと。
それすなわち、他者の財布から自分の財布へとお金を移管させる。露骨にいえば、商品と引き換えに他人から「お金を奪う」ということです。
過酷なまでの「奪い合い」を外で繰り広げているというわけですよ。力のパラメータは仕事に全振りせざるを得ない。
なのに、帰宅後まで女性と同レベルの家庭内労働を求められるのは、正直フェアではないでしょう。
女性は女性であるだけで価値がある
(それならわたしだって同じだろうが!)と思うから夫婦間でもめるわけで。
確かに、男性顔負けの働きぶりで社会に価値をもたらす女性もいらっしゃるので、上記のようにあるべきとは言いません。
が、残念ながら、そうした女性はあくまでも少数派であり一般的とは言えない。
仕事にパラメータを全振りするような女性は、むしろ少数派です。
僕は「女性は女性であるだけで価値がある」と思っています。一方、男性に関しては「男性であるだけでは市場価値は無い」と思っています。
「女性として生まれた。」ただそれだけで、この社会においては市場価値があるの。
納得していただけるか、それとも、これを侮辱ととるかはお任せしましょう。
そもそも女性には、遥か太古の昔から「後方を守り維持する」といった立派な使命があり、それは男性には逆立ちしても出来ません。
それは裏を返せば、女性は「稼ぐ」よりも「家庭や今の暮らしを維持する」ほうに集中力が向くということです。
仕事に対して感じる使命感や重圧感は男性ほどではありません。
そして、社会から保護されやすいのは男性よりも女性側です。
大した稼ぎを持ち帰らなくても、女性であれば大目にみられます。同情もしてくれるでしょう。でも男性は(何やってんだ)と蔑まれて終いです。
専業主婦でも社会的身分は保障されますが、専業主夫となれば話は違いますよね。
迂闊にも昼間に外出し、隣近所とつい出くわそうものなら、何をいわれるかわかったものではありません。
要は、男性と女性では価値観から人生観・社会から受ける評価までと、ありとあらゆるものが根本的に違うというわけです。
男性は「働く」ことでしか価値を示せない
男の価値は仕事です。どれだけ働くか、どれだけの富を巣にもって帰るかです。
太古の昔であれば、狩りのできない男や強奪に抗えない男に市場価値はありませんでした。
それは現代も同じで、狩りの対象が変わっただけ。「お金」を持ち帰らない男に市場価値はありません。
男の価値=仕事。それすなわち、
男の価値ー仕事=0
てこと。
極めてマッチョな考えではありますが、これ事実、というか真理であります。
もうね、男として生まれたなら諦めるしかないんですよ。
この原理原則から逃げては、まともな生き方はできません。自分は良くても、周囲の誰も幸せにすることはできない。
受け入れているからこそ、世の男性は皆働くのです。
ボロボロになっても毎日毎日働き続ける。生産する人は生産する。使われる人は死ぬ気で従事するんですよ。
人は1日に使える「元気玉」は1個か2個。
男は有無を言わずそれら全てを「稼ぐ」に投下します。そうしなきゃ、ピーピー鳴く雛が待つ巣に食料を持ち帰ることができないから。
一方、女性は残り半個ないし1個を家庭のためにストックします。巣の中全般を保守・管理するプログラムがDNA上に刻まれているからです。
男性の家事・育児がお粗末なのは、そこに割く余力がないから。「元気玉」を使い果たしているからです。
もちろん仕事から家事・育児まで完璧にこなせる男性もいますが、その場合は、仕事に慣れてるか超ラクか、あるいは基本スペックが高いかのどれかでしょう。
これが、僕なりの夫婦間における相互理解。
が、家庭内でこれを主張する勇気は今のところありません。偉そうに言うのはネットだけ。