申し上げにくいことだが、人は「他人の話」にまるで興味がないんである。
あなた方が思う以上に、他人はあなたの意見や事情に関心がない。
人が関心があるのは「自分の事」だけだ。あるいは「なんか関係ありそうだと感じる事」以上2点のみ。
それ以外のこと、ましてや他人の事情なんてのは「些事」もいいとこ。どうでもいいレベルである。
そのくせ、自分の事に関してはやたらめったら話したがると。あんたのこた知らんけど、こちらの事情は理解してほしい、というわけだ。
・話せば理解してくれる
・聞いてくれないのは、相手の人間性に問題があるから
悲しかな!人は本気でそう思い込んでいるのである。
「聞く」よりも「聞いてくれ」が両者互いに先立つなら、それはただ意見を投げつけ合ってるだけだ。だからキャッチボールが途切れる。
ということは逆にいえば、こちらの「聞いてくれ」を抑え込み、相手の話を「聞く」に徹することができれば、ど真ん中直球のキャッチボールが成り立つわけだ。
ボールをしっかり受け止めてくれるとなれば、その際の、相手の「欲求の満たされ方」はハンパないものがある。
相手の欲求を満たせれば、心を掴むのは簡単だ。
心を掴めさえすれば、それが信頼を生み、良好な関係構築へと繋げることができる。
今回は、「聞く力」の放つ威力を述べてみたい。
話を聞いていない状態とは
とはいえ「聞く」に徹するのは、口で言うほど簡単じゃない。
「正しい聞き方」を知るには、まずは「聞いていない」状態を理解しなければならない。
ダメなケース1:意見や見解を述べる
1.相手の意見、悩み、感じていることをしっかり聞く。
2.それに対し、自分の見解を述べる。
一見正しそうに思えるが、実は大間違いなのがこのパターンだ。自分にはコミュ力があると思ってる人は、大概ここに当てはまるだろう。
(何が悪いんだ?)とお思いだろうから、ざっくり説明しておきたい。
まず、自分の見解を述べる時点でアウトである。
見解を述べる・意見を言うということは、頭の中では、相手の思いとは「別の方向」に思考を巡らせているということ。
つまりそれは、「相手の話を聞いてない」ということだ。
まず、他人に相談する人はほぼ例外なく、自分の中にすでに答えをもっているものである。
相談するのはアドバイスが欲しいからじゃない。
答えや方向性を示してほしいからじゃない。
迷っているからでもない。
自分の考えや今後の計画を整理するために、人は他人に相談する。
或いは「話すことで孤独を紛らわしたい」といった極めて感情的な理由から、人は他人に相談するのである。
そこに真っ当な見解を被せたところで、相手は不完全燃焼のうやむやが残るだけだ。
人は理屈で生きていない。人はどこまでも感情で動く生き物である。
そうした「侘び寂び」を解せぬあなたは、相手の深層心理では「役に立たない奴」と選別されていることだろう。
カウンセリング?くそくらえだ。
ダメなケース2:意見や見解を考える
(自分だったら、こうするんだけどなー)とか考えるのもアウトである。
考える時点で、それは相手の話を聞いていないことになってしまう。理由は上記と同じだ。
そうした上の空状態では、真剣に向き合っていないことが相手伝わってしまう。口に出さなくても必ず伝わる。
感づかれた時点で、相手は一気に冷めてしまう。
むしろ何か申し訳ない気になってしまい、そそくさと会話を切り上げ、あなたのもとを去るだろう。
そして、あなたに心を開くことは以降無い。
相手の感情にシンクロするのが「聞く」ということ
相手の気持ちに寄り添い、本心のままの素直な感情を語らせる。
そして、それをただただ「聞く」。ひたすら「聞く」。そこに見解は全く要らない。
ここまで徹してはじめて、相手にとっての「聞いてくれた」が成り立つのである。
相手の言葉にしっかり耳を傾け、相手の置かれた状況に自分を置き換える。考えてはいけない。想像する。
相手の感情に自分の感情をシンクロさせていく。
「辛いんです」と相手が言えば、返す答えは「そうだね…辛いね…」でいいのである。余計なことは言わなくていい。
相手が喜んでいれば、相手の喜びを我がごとのように喜べばいい。
相手が希望を語れば、その希望を肯定すればいい。
相手に語ることがなくなり、会話が途切れれば、
「あなたは今後どうしていきたいのか?」
「今後目指すところは何か?」
と、相手の将来像を尋ねてあげればいい。そうすれば、相手は再び気持ちよく話しはじめる。
そこでまた余計なアドバイスは言わないこと。それをただただ聞く。
「聞く」に徹することができれば、相手にとってあなたは唯一無二の存在になれるだろう。
これが出来る人は自然とできている。そうした人には多くの人が集まっているはずだ。