「諦める」と聞くと、どうしてもネガティブなイメージを抱いてしまう。
(いやいや、諦めず頑張れや)てのが、一般社会における普通の反応だろう。
「諦めない」という言葉(というか思い込み)に美意識をもつ人は多い。というか信仰に近いものがある。
特に真面目で責任感の強い人ほど、これに囚われる傾向があり、結果、一人勝手に必要以上に自分を責めたて、必要以上に思い悩む。
行き着く先は鬱だ。
もちろん「諦めない」のは良いことだ。粘り強く取り組んだ果てにしか見えない景色もあるだろう。簡単に投げ出すのにロクなのはいない。
が、この手の精神論を全ての事象に当てはめるのはバカげている。
ただでさえ生き辛いこの日本。閉塞感溢れるこの社会で健全に生き抜くには、「諦めないポイント」と「諦めるポイント」をきちんと仕分けする必要がある。
そもそも、人の一生には谷底もあれば山の頂もあるのが普通で、
それに一喜一憂するようではビジネスはできない。営業には向いてない。コンサルタントは務まらない。
株価と同じく、浮き沈みは繰り返せど徐々に上向いて進めばいいじゃないか。
特に谷底においては諦められるものは次々諦めることが肝要だ。
潔く・上手く・小さく諦めることで、次の一手に繋がるバイタリティを失わずに済む。
とある起業家の話
知り合いにとある起業家がいる。
彼からは営業やビジネスに関して様々な助言をいただくなど、僕にとっては数少ない友人の一人だ。同時にメンターともいえる存在。
彼はかつて優秀な営業マンで、以前の会社では役員の座が見えるところまで上り詰めていた。
が、彼は役員を蹴った。
蹴ったと同時に辞めた。
会社の方向性について、社長サイドと致命的なくらい折り合いがつかなかったらしい。
そして、徒手空拳でほぼ無策のまま起業に踏み切った。現在、彼は前の会社の役員報酬を上回るほどの稼ぎを得ている。
これだけではよくある成功談だが、この彼、もちろん順風満帆で現在に至ったわけではない。
起業して以降、「どん底」ともいえる深刻な状況を2度経験することになる。
「谷が深ければ深いほど、そこからの上昇幅は大きい」とは、世の成功者が口を揃えて語る哲学だが、僕の周りでそれを地で行き体現したのが彼である。
上に行こうとすれば、とりあえずは叩かれること。叩かれないと人は成長しない。ということだろうか。
谷底にいる時の過ごし方
人は他人の成功談にあまり興味がない。
それよりも「どん底」から如何に這い上がったか、ココが気になるものである。
逆境時の苦しみ・不安・辛さ・焦り・後悔は相当なもので、それは経験した本人、あるいは経験者にしかわからないものだろう。
(詰んだわ…)
何度そう思ったかわからないそうだ。
そこで彼が行ったのは、自分に素直になること。
改めて自己を振り返り・仕分けし・分析し、自分自身を深く知ることで自分の「強み」に気づくこと。
その上で、目の前のやるべき取り組みに集中する。
その取り組みを信じ、商品価値を信じ、腕を磨きながら集客に取り組み、ひたすら勉強し、発信し続けたという。
合間を縫っての度重なる自己分析。
自分自身を深く知り、内側の核なるものを理解することで、自分自身に決着をつける。
自分に決着をつけることで、散々苛まれてきた負の感情を、まるで他人事のように見つめる別の自分を作り上げた。
負の感情が溢れ出たとて、それを無理に抑えつけることはなかった。自分の強い一面・弱い一面全てを受け入れた。
受け入れた上で、そんな自分が今から何ができるかを、後ろに控える冷静な自分が考える。
そうすることで徐々に感情の浮き沈みは消えていき、内なる自分と外にいる相手を行ったり来たりする術を身につけた。
そうして、今この瞬間目前にある商売、その導線作り、目の前にいるお客に集中する自分ができ上がり、どん底状態は徐々に改善されていったという。
小さく諦めることは自分自身へのケジメ
それは「小さな諦め」だろう。
役員報酬を蹴ったこと、会社を辞めたことを後悔する自分。
・過去は元には戻せないことへの諦め
・将来の不安への諦め
・病気に対する恐れへの諦め
・来年の稼ぎへの諦め
・半年後の自分への諦め
・明日の売上への諦め
・現状の苦しさに対する諦め
話を聞くと、無数の「小さな諦め」を、ことあるごとに己に課したと思われる。
人生にイレギュラーが起こると、人は過剰に反応する。将来のリスクを脳内でとことんまで勝手に発展させ、大げさに考えてしまうがちだ。
起こってもいないことまで恐れはじめるわけだが、ここで何より必要なのは「小さな諦め」。
言い換えれば、その場その場での「ケジメ」である。
小さな諦めは労働の質を上げてくれる
「小さな諦め」をひたすら自分に課すことで邪念が徐々に消え、気持ちを上手く整理し、切り換えることができるようになる。
今日の失敗は潔く諦める。
今週の失敗、今月の失敗は潔く諦める。
計画が頓挫しても、諦めて受け入れる。
他人に負けて悔しがるのではなく諦める。
嫌われ批判されたら、相手に対して諦める。
リスクを恐れる自分を諦める。
不必要な感情を潔く諦め、切り捨てることで、「諦めてはいけないもの」の輪郭が徐々に見えてくるものである。
関連書籍
ただし、ここでいう「諦める」は、根拠のない楽観で生きるとかテキトーに生きるという意味じゃない。
苦しい出来事や不必要な感情を潔く諦め、切り捨てること。
今取り組む事の本質部分・自分の使命に気づき、そこに向けて邁進しやすくなるということ。
それはつまり、「精一杯、今を生きる」ことが出来やすくなるということだ。
上記の起業家友人の体験話と、最近読んだこの本⤵︎が妙にリンクしたので、ここに紹介しておきます。
ただ、頑張らない人が読むと、頑張らないことへの正当化に使いそうなので、少々心配ではありますが、「主旨はそうじゃない」ってことは肝に命じて読んでください。
面白い内容です。